日本語の乱れがどんどん進行していくので、いちいち怒っていたらきりがない、のですが、今朝のテレビで中越地震の被災地の役場職員がインタビューに答えていた次の言葉は乱れの典型例。
「地滑りとうがおこらなければいいかなと,思っています」
「・・・かな」という言い方は政治家が使い出した曖昧言葉なのだろうが、災害が起こった方がよいのか起こらない方がよいかの「自分の気持ち」がどうして曖昧になるのだろうか。
日本人は何でも曖昧にしておくことを好むから,はっきり意見を言わないし,議論は苦手だ。昨今のアメリカ人のように白か黒か、敵か味方か、という単細胞的発想は論外としても、意見は言わなければ吟味できないし,自分の気持ちを正確に言葉にしようと言う精神の努力は大切なこと、小さい時からそうした訓練をすることは勉強をしてものを覚えることと同じようにまともな人間になるために大事なことだ。これ(自己表現)は大変難しいことでつらく悲しい長い時間を要するが、仕方がない。しかし、曖昧に逃げたり避けたりばかりしていると、ナメクジのような人間になってしまうぞ・・
こんな曖昧なでたらめな言葉ばかり喋っていては、この国はどうなるのか、情けないやら悲しいやら
もっとも,非戦闘地域の定義を聞かれて、いけしゃぁしゃぁと「自衛隊のいくところが非戦闘地域だ」と答弁するような首相の存在を許す国とはどうしたらいいのだろう・・・
コメント