6/1から3泊で岩手県盛岡市、小岩井農場、花巻、など宮沢賢治の足跡を訪ねる旅をしてきました。生家跡、花巻農学校、羅須地人協会、賢治の家、イギリス海岸、詩碑、墓所、記念館などなどです。帰る日の朝は、岩手山のくらかけ山(写真右側の小さな山)に登ってきました。大変収穫の多い旅行でした。
私の車にはNAVIなるものはついていないし、その場でもらったイラストマップ以外の地図も持っていないので、行き当たりばったりの旅としては、なかなか大変。あちこちで道を尋ねる事になる。でも、NAVIのないお陰で得難い体験をすることにもなる。
花巻の賢治の生まれた家の横に、古い蔵を改造した町の観光案内施設がある。そこに、中年のおばさんが2人案内役をしている。コーヒーを注文するとサイフォンで入れてくれる。昔の小学校の椅子と机が真ん中に置いてあり、そこで、飲みながら色々話を伺った。小岩井農場がすばらしいと言うような話をして、そこを出る。賢治のお墓に行くことにして道を尋ねると、外まで見送ってくれる。気がつくと、道端のあちこちに置いてあるベンチ。賢治の童話のレリーフが背もたれになっている。これが欲しいなぁ、と思って、町ではこれは売ってないですよね、と尋ねると、だったら、すぐ町の人に聞いてみましょう、売ってなくても作ってる所はあるはずだから・・分かったらお知らせしましょう、と親切に言って下さった。たとえ無理でもそのお気持ちだけでもありがたい。すっかり嬉しくなって、賢治のお墓を訪ねた。花が沢山供えられ、線香の煙が絶えないようだ。賢治さんの童話の名前にちなんで勝手にペンションなんかやって1度も挨拶に来なかった事をお詫びした(^_^;)
賢治の童話館などはくだらない税金の無駄遣い、というより賢治の精神に反すると思ったが(実は先の案内所のおばさんたちもそう言っていた)、羅須地人協会のあった場所、賢治の家などは本物だから、感慨も深い。花巻農学校の敷地内に、偶然あったという賢治の家の周りはきれいに手入れされた庭になっているが、そこで、草むしりをしている老人がいた。
話を聞くと、農学校のOBだとかで、この学校にはお世話になったから、OBはここの掃除をすることになっている、とのこと。この賢治先生の家は、農学校が
ここに出来た時に、先にあったもので、賢治先生が、先に来ていて「お前たちも早くこっちへこい」と言っているような感じ・・と語ってくれた。今年は賢治生
誕110周年、農学校創立100周年と言うことで、校舎には大きく、賢治の言葉、花巻農学校の為に作った精神歌の一節「ワレラ ヒカリノ ミチヲフム」の横断幕がかかっていた。今年新しく賢治
の銅像を作るとのこと、だけどお金がない・・・と心配していた(^^) 賢治は銅像なんかいらないと言うだろうが、このおじいさんは童話館よりずっと本物だ。
玄関脇の黒板に「下の畑に居ります」と書かれた賢治の家は元々は別の場所にあったもので〔この写真はお土産で買ってきたもの)、そちらには現在「雨にも
負けず」の詩碑が立っている。建物は小さく、居室と近くの農民に講義をしたりレコード観賞会を行った10畳ほどの「教室」がある。
壁に、賢治がセロを練習
した時の、教科書を写したものが飾ってあった。賢治記念館にも、当時のアルス出版からでたチェロ奏法の本の写しが展示してあった。チェロを東京で習ったのは3日間だけ、必死に教科書を写したのだ。37歳でなくなるまで、一生懸命色んなことを勉強し、人の為に尽くそうとした・・
賢治の愛した土地や景色を少しだけ見て回ったが、そこはどこも気持ちの良い風が吹いていた。自然や人を大切にしようと言うことがごく当たり前にぴんと筋が通っている、そう言う文化が根付いている・・
花巻から盛岡市内に戻ってきて、賢治や啄木が好んで散策したと言う岩手城趾を見ようと探すが、なかなか行き当たらず、狭い路地に入り込んでしまった。そ こに、立ち話をしている中年のご婦人が2人。道を尋ねると、丁寧に教えて下さり、お礼を言って車を動かすと、「では、お気を付けて・・」と丁寧に頭を下げ られた。料亭の帰りでも宿を出立するのでもないのに。通り掛かりで車の中から道を聞く失礼な人に対して、こんなに丁寧に対応されるのは初めてである。驚く と共に恐縮する。これが、岩手県人だ。
最後の日の朝、賢治の愛したくらかけ山に登ったが、日曜日だったから、沢山の家族連れやご夫婦、子供たちを引率した小グループなどと出会った が、この人たち、子供たちも、何だか明るく礼儀正しい、昔ながらの子供と家族の雰囲気・・・
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