でも、夕焼けがきれいだとどうしても思ってしまうのは、フランクルのユダヤ人強制収容所での体験記「夜と霧」という本に書かれている、アウシュビッツ?で見たという夕焼けのこと。「夜と霧」は過酷な運命に翻弄されたある精神科医の手記で、大学時代とても感銘を受けた本の1つ。ちょっと長いけど、引用しよう
『人間が強制収容所において、外的のみならず、その内的生活においても陥っていくあらゆる原始性にもかかわらず、たとえ希ではあれ著しい【内面化への傾向】もあったと言うことが述べられねばならない。元来精神的に高い生活をしていた感じやすい人間は、ある場合には、その比較的繊細な感情素質にもかかわらず、収容所生活のかくも困難な、外的状況を苦痛ではあるにせよ彼らの精神生活にとってそれほど破壊的には体験しなかった。なぜならば彼らにとっては、恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が開かれていたからである。かくして、そしてかくしてのみ繊細な性質の人間がしばしば頑丈な体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得たというパラドックスが理解されうるのである・・・・
・・・若干の囚人において現れる内面化の傾向は、またの機会さえあれば、芸術や自然に関するきわめて強烈な体験にもなっていった。そしてその体験の強さは、我々の環境とその全くすさまじい様子とを忘れさせることも出来たのである。
・・・(その後、ある夕方死んだように疲れ果て横たわっているとき仲間がやってきて夕焼けを見るようにと求め、言われるまま点呼場で見た夕焼けの記述が続く)
感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に「世界ってどうしてこう綺麗なんだろう」と尋ねる声が聞こえた・・・』。(みすず書房フランクル著作集1 122頁〜 1961年刊)
関係ないけど、大学時代愛読したのは、世界の改良、改革を叫ぶ当時の政治的プロパガンダに対し書かれたヘルマン’ヘッセの「ツァラツーストラの再来」というエッセイ。「・・世界は改良されるためにあるのではない。君たちもまた改良されるために存在しているのではない。・・世界が君たちの存在の響きと音と影とだけ豊かさを増すために君たちは存在しているのだ。」
フランクルの「夜と霧」、私の学校の先生がついこの間の授業で「凄くいい本だから是非読んでみて」と言ってたんです。なんだか縁のある本のような気がするので、早速読んでみます。
今日の夕方はそんなに美しかったんですね~。
全く気づかなかったのが凄く悔しい!
投稿情報: miho | 2006-09-19 21:02