先日、勝沼のブドウ農家を訪ねて、今年のブドウをたくさん買ってきました。「究極のブドウ」と雑誌でも評価されたもので、1度食べたら他のブドウは食べる気がしません。なので、今年初めて食べるブドウです。あ、今日のお昼はピザとブドウ。毎日ブドウを食べ続け、食べ終わったら今年はおしまい。
前にも「究極のブドウ」というタイトルで書いたと思いますが、この農家をネットで紹介したいのですが、止められているのです。訳のわかんない人からの注文は受けたくない、と言うことです。ある程度生産者の気持ちや努力を分かってくれる人にこそ届けたい・・。このことを書くと長くなりますが、確かに世の中、訳の分からない人が増えていると思います。お客様は神様みたいな考えは、サービス提供者が自戒として思っているうちはよいけれど、お客さんの方が自分は神様だと勘違いしてくると世の中の秩序、麗しき風習が崩れます。
フランスに長く居住している人の話で、フランスのお店での賢い買い物の仕方というのを聞きました。(これもいつでもどこでもという話ではありませんが)フランスでは、ある種の格付けというものがある。例えば、お礼を言うとき、メルシーとだけ言うランクの人と、メルシームッシューという場合では、言われた方の対応が異なるとのこと。一種上流階級の人のしゃべり方は、後者であり、そのような挙措言動の人に対しては、それなりの対応をする、つまり人を見て法を説けじゃないけれど、相手の対応によりサービス内容は変わるのであって、誰でも一律に同じ言葉、サービスというのは安いファミリーレストランのサービスマニュアルと言うことでしょう。
古いホテルのサービスマニュアルを読むと、やはり、同じようなことが書いてある。お客様との距離、サービスレベルは、相手によって異なる。相手より1段上のサービスをするのはよいが2段上では慇懃無礼になる云々というのです。「○○じゃねぇかよ」というしゃべり方をする人には、「そうだよね」と言っていれば良く、「○○ですよね」という人には「さようでございます」と言えばよい。前者にたいして後者の受け答えをすると、馬鹿にするんじゃねぇよ!と言われる。・・・
さて、フランスでは(多分世界共通、ただし、開発途上の大国とファミレスとコンビニに席巻され頭の構造がおかしくなっている日本人を除く)値段のことばかり念頭にあって商品を見ているような(どれだけ安くなるかと言うことに関心がある)お客様は、お客様ではない。安くならないかと言うことを最初に尋ねるような人には絶対安くしない。それで買わなかったとしても、「あの人はお金がない人なのよ」で終わり。でも、その品物がとても気に入ってそれが欲しいと言うことなら、どんなに気に入ったかをしゃべれば、喜んで他のものを見せたり、値段もがくっと安くした上おまけまでくれる、と言うのだ。
で、それをどう評価しようと、世の中はこれが事実だと思う。売り買いだけでなく、人間関係そのものがそうである。本当の意味での一流の人を知り合いに持つには、自分が一流のものを理解し、それに近づく努力をしていなければ決してそうはならない。お金さえあれば何でも手にはいると思ったら大間違い。
だから、たとえ一房のブドウといえども、本当に安全で美味しいものを提供したいと、それを作るためにどれだけ努力し、どれだけ研究しているか、と言うことに思いが至らないような人には猫に小判である。スーパーのブドウと比べて、ちょっと高いんじゃないか、とか、今日注文したら明日には配達しなければ、などと言っている人には、売る必要がない。
良いサービスを受けたければ、それに値する人間にならなければならない、と言うようなことは私が言う立場ではないが(^^;)、そうした方がみんなが幸せになれる。教育的だし、そういう文化のあるところには、様々な麗しい習慣も生まれるだろう・・というかかつての日本はそうだったに違いない。これを破壊したのが高度成長下、消費は美徳で育った団塊の世代のおじさんおばさんだったかも・・
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