やっと先ほど確定申告書類を会計事務所に出してきました。2月中旬にはほぼ終わっていて安心してほったらかしていたら、いやはやこんな時期になってしまったのでした。
膨大な資料の割には、なれてくるとそれほど大変というわけでありません。
会計事務所のおねぇさんは、ここまでやる人はいません、とおっしゃる。、普通の人たちは、締め切りギリギリに整理されてない領収書の束を持ってくる人が多いとか。確かに、うちの場合、会計諸票はキチンと糊付け、ファイリングされているし、減価償却計算書はエクセルで自分で作ってるし、損益計算書、貸借対照表もキチンとできあがっているから、本当は会計事務所なんていらないはず。ここまでやったら会計事務所はやることがないでしょ、と言うとそうだと言う(^_^)
でも、本当は私は一番向かない仕事は経理だろうと思うくらい、金銭感覚とか細かい計算が苦手。いつも、まっ良いか、細かいことは良いじゃないか、うるさいな、である。しかし、この貸借対照表を作るのは一種のゲーム感覚で、計算が合わないと問題を探し出して訂正入力して、左右がぴたっと同額になる快感が何とも言えない。これをやらない人が多いらしいが、それでは、申告書類を作ってみたものの中身は間違っていたりでたらめだったりしても気がつかないと言うことだ。几帳面な性格とは言えない私だが、そういうでたらめなものを平然と出すのは気分が悪い。せっかく面倒なことをやっていることが意味がないではないか。
間違いは悪いことではない、間違いを正さないのが悪い。テストの答案が戻ってきても間違いをチェックしない生徒のようなもので、これではテストの意味がない。
「子の曰わく、過ちて改めざる、これを過ちという」(論語巻八、衞霊公編)
今の話とは直接関係ないけど、考えてみると、国の役人とかはできの悪い生徒みたい、過ちを認めず理屈を付けてはその場しのぎのごまかしをやる。
お前はアホかと言いたくなる言葉「今後そのようなことが起こらないような方策を講じる」 宿題をやらなかった子が「来週やります!」とその場しのぎでごまかすのと同じ。何の責任も取らない、恥も痛みも感じない、原因の究明もしないから、必ず同じ過ちを繰り返す。問題が起きたら、直ちにその場で解決するのが原則。
責任を取るというのは恥を知る人間の自己決断である。詳しい調査を待ち、アンケート調査の結果、渋々何かをすると言うものではない。円楽師匠が高座をおりる決断をして周囲を驚かせた。客や興行主から苦情が来てから高座を降りるのでは粋でない。あっぱれである。「お天道様はお見通しでぃ!」と言う台詞が決まる社会でありたい。
さて、昨年度の実績は・・増収減益 景気はどうかと言えば上向いていると言えるだろう。
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