「宮川」でうなぎを食べ、銀座の町をぶらぶらしていると色々昔のことを思い出す。そう、なんといっても私は八丁堀の生まれで、高島屋は歩いて行った所だし、「あづま」という食堂は、昔ラーメンと名物のあずきアイスを食べるのが楽しみだった所。勿論旧日劇前の不二屋は、昭和30年代東京に住んでいた子供たちは誕生日と言えばここで年に1度、ハンバーグか海老フライを食べた思い出を共有している筈だ。子供たちが家族と外食する晴れやかな場所は不二屋しかなかった。東京の街が次々と若者に占領される中、銀座は大人の街として変わらない。今は、海外の一流ブランドショップが軒を連ねているが、まだまだ古い店が沢山残っている。高校・大学は、高田馬場や新宿がメインとなって銀座はたまに映画を見に来たり(その帰りはやっぱり不二屋で食事をするのがデートコース(^^;;)するだけだったが、今みたいに歳をとると、新宿や馬場は行こうと思わない。銀座には小さい頃の憧れもあるのだろう。(具体的には不二屋かも・・(^^))
奥様、手術なさったのですか。お加減が悪いとは知りませんでした。どうぞお大事になさってください。
銀座、昔は手のとどかない大人の街というイメージでしたが、いつの間にか自分にとって落ち着く街になっていました。年とったってことなのかな(笑)。
投稿情報: まかべ | 2008-11-07 17:04
まかべさん こんばんは
「手根幹症候群」と言う病気です。内視鏡による手術で20分ほどで終わりましたが、1日入院、その後私が完全介護1週間です(^^) 手作業を沢山やる女性に多いようですね。このまま手が使えなくなったらどうしようと、今年は仕事を大幅に減らし、食器も小さく軽くしたり、大変でした。
さて、「自分にとって落ち着く」場所は、例えば、うなぎや、和食屋、ちゃんとしたフレンチの店、その他ホテルのレストラン・・などなどだいぶ昔と変わりました。
投稿情報: goshu | 2008-11-07 20:24