初めて秋葉原に行ったのは小学校の6年の時だと思う。ところで、アキハバラなのかアキバハラなのか、昔は2つの表記があった。日本語的にはアキハバラが自然な感じだが、元々は秋葉様を祀ってある原っぱという意味だから、アキバハラが正しいとか何とか・・今はアキバが本流になったらしい。
昭和39年当時、秋葉原は、電気部品の街だったような気がする。原宿から山手線で往復10円(子供は半額だったから)。友達とゲルマニュームラジオを作るために、ダイオードだの抵抗だのコイルだのを買いにきたのだ。まだ、子供なのに、「おじさん、遠くから来たんだから電車賃くらい少し安くしてよ]とか言って値切った記憶がある。
次に高校生くらいで来た時は、秋葉原は完全にオーディオの街だった。そして大分前にコンピューターの街になり、今では、ハードだけでなく若者文化のソフト的にも注目をあつめる街に変貌した。もう老舗のオーディオショップも数軒しか残っていないだろう。
昔は、食べる所がなくて困ったものだが、今や、普通の街と同じように便利になった。
だけど、昔のように、大人に交じって目を輝かせて何かを作るために欲しい物を探し歩く子供の姿はあるのだろうか。あの心ときめかせて、未知の空間を歩いていた時代が懐かしい。
それはともかく、都会生活を離れてウン十年、上京するとびっくりする事ばかり、疲れる(^^) 人は多いし、うるさいし、くさい。今回は、インフルエンザの大騒ぎの影響でマスクばかりかと思ったらほとんどマスクをしている人がいない。何なんだろう、あの騒ぎは(^^)
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