25年ぶりに泊まりに来た人がいた。その昔、まだ20代で、松田聖子の歌真似をみんなの前でやったりして明るく可愛い女の子だった。
いつまでも変わらずに夫婦でこの地でペンションをやっていると言うことも、以前泊まったことのある人には嬉しいことでもあるらしいが、とっても久しぶりにそう言う人が再び訪れてくれることは、懐かしいと言うより、とても得した気分になる。このことをどう言い表したらよいかと考えている。歳をとったということが背景にあるのだが・・
記憶というのは、出来事を「覚える」(思いで作り)、忘れずに記憶に「とどめる」、「思い出す」、この3種の総体である。
歳をとると、覚えることが減っていく。思い出す機会も段々減り、記憶全体が希薄になる、それがよい場合もあるし、薄っぺらな時間になっていくと言うこともある。
惚けることが恐ろしいのは、判断力に誤りが増えるというよりもこの記憶(意識)が希薄になると言うことだ。豊かな老後とか言うが、この豊かさとは、お金があることでも暇な時間があることでもなく、記憶の確かさ(生きている実感をどれだけふくよかに想い出とともに再生できるか)にかかっている。
もう忘れかけていた人が、再び実感を伴って現れるというのは、記憶を取り戻す事であり、それは単に懐かしい想い出と言うだけでなく、両者が時を共にする意識の交流・相互作用があれば(孤独な自分だけの意識や記憶ではなく、他の人の意識・記憶と触れ合うと)その深みは倍加する(こんな表現ではなんだか分からない、再検討(^^;))。だからどうしたわけでもないなんでもないことだけれど、時間(意識)が豊かに満たされる、失ったはずのものがおまけ付きで再び手に入る、得した気分。
「朋あり遠方(空間と時間)より来たる、また悦ばしからずや」
今は時間がないけれど、ベルグソンの「物質と記憶」を読み返してみたくなった。
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