「長い間ご苦労様でした。お疲れ様でした。」と定年退職すると周囲から言われるらしい。このセリフは、死んだ時に言われるセリフではないだろうか。つまり、定年退職する人は死を二倍味わえる?と言うことか。
少なくとも、本当に死ぬ前に1回シミュレーションが出来ると言うことは幸せかも知れない。
私は自営業なので定年というものがありません。老後の生活、と言うことで懇意にしているブドウ農家の方と話したら、百姓に定年なんてない、90過ぎても体が動けば畑に出て、近頃あのじいさん見かけないなぁなんて思ったらポックリ逝ってた、そういうもんだよ。と言うことでした。それを聴いて私も大いに反省したものです。「老後の生活」と言うことが話題になり当たり前のようになっているのは世の中がサラリーマンを基準にしているから。そんなに線を引いて考える事はできないし、仕事が第一でそれがなくなったら何をどうしたらよいのか途方に暮れると言うことが変。
そもそも仕事があって私があるのではなく、私があってその生活の中に仕事があるのだ。仕事は私がコントロールするもので、仕事に追い回されるべきものではない。たとえ、実際にそういう事情があっても魂まで売り渡してはいけない。
昔、石原慎太郎さんが都知事になった直後、散歩途中でばったり出会ったので(別荘がすぐ近くなので顔なじみ)立ち話をしたが、(知事になっても) 「魂は売らないよ」と言っていた。公邸に入らず自宅からの通勤をしている、小説も書き、絵も描いて個展まで開いている、さすがは自営業者。?
私は自営業なので定年というものがありません。老後の生活、と言うことで懇意にしているブドウ農家の方と話したら、百姓に定年なんてない、90過ぎても体が動けば畑に出て、近頃あのじいさん見かけないなぁなんて思ったらポックリ逝ってた、そういうもんだよ。と言うことでした。それを聴いて私も大いに反省したものです。「老後の生活」と言うことが話題になり当たり前のようになっているのは世の中がサラリーマンを基準にしているから。そんなに線を引いて考える事はできないし、仕事が第一でそれがなくなったら何をどうしたらよいのか途方に暮れると言うことが変。
そもそも仕事があって私があるのではなく、私があってその生活の中に仕事があるのだ。仕事は私がコントロールするもので、仕事に追い回されるべきものではない。たとえ、実際にそういう事情があっても魂まで売り渡してはいけない。
昔、石原慎太郎さんが都知事になった直後、散歩途中でばったり出会ったので(別荘がすぐ近くなので顔なじみ)立ち話をしたが、(知事になっても) 「魂は売らないよ」と言っていた。公邸に入らず自宅からの通勤をしている、小説も書き、絵も描いて個展まで開いている、さすがは自営業者。?
だから、定年制度で1回死ねるのはぼんやりした人には良いことだと思う。自分のこともこの間の周囲の人のことにも思いが至るチャンスだ。多くの定年退職者とおぼしき人を横から見ていると、良い生活をしている人もいる一方、人間的に成長が止まったまま仕事だけ何となくこなしてきたのが見え見えの抜け殻のような人もいる。こういう人はスーパーでの態度・言動を見ていると分かる。いや、勿論それはその人のごく一部でしかないとは思うが、それにしても偏った生活をしてきた事だけは分かる筈だが、そのことに気がついていない、肝心のことに気がついていない風に見える。
余計なお世話だしお前なんかに言われたくない、と言うことになるだろうから(^^;)やぶ蛇にならないうちにやめておきましょう(^_^) これから定年退職者がむやみに世の中に出てくる。大概は自分勝手なわがままな人が多いと思うが、特殊な会社社会の習慣をすてて、なるべく早く社会復帰して欲しい。1人でも生きていける基本的能力を身につけ、当たり前の世の中の事をよく学び社会の役に立つ人間になりましょう。最初の死を無駄にしないように。
「定年」したばかりの自分にも当てはまる面があり耳が痛いですね。
友人もほぼ90%はサラリーマン。「一般」の人に、違和感を撒き散らしながら生きているのでしょう。
でももっと問題なのは自分自身の中に生きる喜びや、希望みたいなものまで見失ってしまうことだと思います。
価値観や喜怒哀楽の形まで会社組織に依存した30数年を過してしまった結果、「自分勝手で我がままな人」は、そのことに気づいていないのです。
哀しい現実ですが、一般のカルチャーセンター、マンション自治会などなど会社以外の集まりになれば、必ずそんな感覚がずれてしまったおじさんにぶつかると思います。
投稿情報: chiibou | 2010-10-09 19:42
ま あんまり考えて書いてないので、まともに読まずにサラッとお願いします(^^;)
でも自営業者とサラリーマンではどこか感覚が違う所があり、身の丈を知っているかいないかが少しずれているような・・です。経済的にはサラリーマンの方が恵まれていると思いますが、失った精神的なものも大きいような・・。
人それぞれなので一概にどうのこうの言えないし、一般論では失礼でもありましょう。と言いつつ、(^_^)
会社勤めの人は、自分の評価を会社の中の尺度で測る習慣が付いているようで、経済活動と離れて人間としてどうなのかと言うようなことは問題にならないのではないでしょうか。そんな暇な青臭いこと考えもしない、のではないでしょうか。
だいぶ以前、大学時代の友人が(某一流企業の支店長だった)やってきて、仕事は部下の首を切ることみたいな話で、私が大いに反論したら、「なんか懐かしいなぁ、お前、いいなぁ、昔と変わらないなぁ・・」とかなんとか(^_^)。で、仕事やめたらどうしようかと思ってる、何も趣味とかないし、大体会社だって儲ける事ばかり考えて儲けた結果をどうするか。何か社会に還元しなければと思ってもその方法が分からない、とかなんとか。(アホか)
定年を境に何か生活が変わると言うことはあるにはあると思うけれど、1人の人間として、連続性、持続性がなければいけない。それは定年よりずっと前から考えて日々を過ごしていなければいけないと思いますね。人生は、2楽章も3楽章もなく1楽章形式の音楽。第2の人生なんてものはない。
投稿情報: goshu | 2010-10-09 21:16
思い出しちゃったので書きます。
学友と(オケの楽友です)20数年ぶりに会って飯食ったとき「君は全然変ってないんだ、今でも学生時代のまま生きてるんだ」と目を細められたことがあります。
彼は経団連会長企業の幹部でしたが、goshuさんのおっしゃるとおり、本当の大企業というのは、普通感覚とは隔絶した世界に染まらないと生きられないのでしょう。変らざるを得なかった彼の生き方を とやかく言えないけど、ちょっと寂しい気分でした。
「釣りばか日誌」の浜ちゃんみたいに自由には生きられないけど、自分らしさを失わないサラリーマンはたくさんいます。
しかし そんな人の多くは 残念ながら 僕の知る限り 組織の中枢から外れている気がします。
音楽生活を続け(カラオケは別です!)みずみずしい感性を失っていない人の多くも 覚悟の上で活動しているのかも知れません(内緒で活動していたり・・・)でもこれからの社会は変化するでしょう。
こりゃ失礼!やっぱり、ちょっと真面目に書きすぎましたね。ではこれにて。
投稿情報: chiibou | 2010-10-09 22:34
この話題は今年サラリーマンを卒業した私も一言申し上げなければならないでしょうね・・ サラリーマンといっても、昭和40年代に就職をした団塊世代の生い立ちは正に戦後の日本の混乱・再生の過程で戦後教育を受け、産業構造が激変する高度成長の中で、種々雑多なバックグラウンドを背負う人達がお互いの異質性を自覚しつつ、如何に価値観を共有しようとして来た歴史の様に思われます。その意味では皆が無我夢中で目の前にある課題に取り組み、シュトルム・ウント・ドランクの如くアット言う間に過ぎ去ってっしまった40年ではなかったでしょうか?でも出自の違いを超え普遍的な価値を持つものへの憧憬を常に持ち続けて来た人達は結局普遍的な価値を追及すると言う一点で老若男女を超え集う事に何の躊躇いも持たないと思います。
アラカンの世代は今後の日本にとってやらなければならない事が多々あると思います。オーナーの問題提起、意気に感ずるところがありガラにも無く乱文ではありますが投稿させて頂きます。
投稿情報: 童夢の初心者 | 2010-10-10 21:28
「ご苦労様でした。お疲れ様でした。」のセリフは、死んだ時に言われるセリフではありません!
私にとっては新たなる旅立ちの日でした。私は42年間職種は変われども同じエンタープライズに勤務して、所謂自由の身になって、「これからっ!」って感じで”第2の人生”を好きな事で忙しく生きております。
定年退職する人は死を二倍味わっている訳ではありません!
投稿情報: 新太郎 | 2010-10-11 11:25
新太郎様
ご無礼いたしましたm(_ _)m
しかしながら、私は悪い意味で言っているのではありません。なかなか長い間の労苦に対してきちんと感謝されたりお礼を言われたりすることはないですよね。いわゆる心を込めた弔辞など、生きてる時に聞きたかったとか、だから、生前葬儀というのもあるではありませんか。言われるだけではなく、死の間際に言いたいこと(大体はそんなこと言う暇なく息引き取る)事もあるでしょう。一種の生前葬儀みたいな経験は、良いものだと私は思います。そういう意味です。
死を否定的にのみ考える事は間違っていると思います。
でも、もうちょっと周囲に目を配って理路整然と書かないと意味が通じないかも知れませんね。反省です。でも、そうすると文章力のないせいか、私の場合やたらに理屈っぽく論文調になり長くなってしまうのです。それでボツにしている文章が沢山あります(^^;)こういうブログにはそぐわない内容ですね。
投稿情報: goshu | 2010-10-11 14:40