2月12日の「チェロコングレス・イン・ジャパン2011」のチェロアンサンブル。プロアマ混合で180人がサントリーホールの舞台で演奏。5曲演奏するのだが、問題はカザルスの「サルダーナ」だけだろう。曲をすっかり覚えてしまわないと・・・。
サルダーナ(たぶんサルダナではなく、後ろを延ばすのがスペイン式。バルセロナではなくバルセローナ、カザルスではなくカザールス)というのはカタローニャの民族舞踊。でも途中は色んな要素が入ってくる。何かとっても緊張して胸をどきどきさせて、達成するような箇所があるが、あれはきっと、「人間の塔」というこれまたカタローニャのお祭りのイベントの場面のような気がする。曲全体は、大きな広場で、人が沢山集まって、遠近感のあるざわめきやどよめきが聞こえてくるような、弾いていても遠近感を感じる臨場感が凄い。カザルスが幼少期から慣れ親しんだ祖国カタローニャの一番のお気に入りがつまった楽しい曲。
この曲は、1927年にロンドンのチェロ学校の学生のために書かれたもの、らしい。カザルスが子供の頃ベンドレルのお祭りで耳にした音(楽団、クラリオン、僧の歌、群衆の叫びなど)にヒントを得て作られたもの。32本以上のチェロが必要。
そもそも大勢で弾くと効果的になっていると思う。それはこの曲の空気感、遠近感だ。きっちり美しいアンサンブルより、何よりお祭りの楽しさ、生き生きとした臨場感が大切だと思う。いわゆるふつうのクラシックの音楽とは違うのではないだろうか。ブエナビスタソーシャルクラブの音みたいな音程の狂ったノイズ成分の多い楽器や歌、でも熱い人間の歴史や思いが込められた即興的な要素・・とかなんとか言ってもともかく弾けなくては(^^;)
これを弾いていると、何故か宮沢賢治の「ちゃぐちゃぐ馬っ子」の場面を思い出す。朝靄の中、橋の遠くの方から、なにやらちゃぐちゃぐ馬っ子の鈴の音や何かが段々近づいてくる、そんな感じ(昨年亡くなった長岡輝子さんのフランス語のような響きの美しい岩手弁のこの詩の臨場感溢れる朗読がいまだに残っている)。人それぞれの小さい頃の楽しい想い出が浮かぶのではないだろうか。
この曲は、1927年にロンドンのチェロ学校の学生のために書かれたもの、らしい。カザルスが子供の頃ベンドレルのお祭りで耳にした音(楽団、クラリオン、僧の歌、群衆の叫びなど)にヒントを得て作られたもの。32本以上のチェロが必要。
そもそも大勢で弾くと効果的になっていると思う。それはこの曲の空気感、遠近感だ。きっちり美しいアンサンブルより、何よりお祭りの楽しさ、生き生きとした臨場感が大切だと思う。いわゆるふつうのクラシックの音楽とは違うのではないだろうか。ブエナビスタソーシャルクラブの音みたいな音程の狂ったノイズ成分の多い楽器や歌、でも熱い人間の歴史や思いが込められた即興的な要素・・とかなんとか言ってもともかく弾けなくては(^^;)
これを弾いていると、何故か宮沢賢治の「ちゃぐちゃぐ馬っ子」の場面を思い出す。朝靄の中、橋の遠くの方から、なにやらちゃぐちゃぐ馬っ子の鈴の音や何かが段々近づいてくる、そんな感じ(昨年亡くなった長岡輝子さんのフランス語のような響きの美しい岩手弁のこの詩の臨場感溢れる朗読がいまだに残っている)。人それぞれの小さい頃の楽しい想い出が浮かぶのではないだろうか。
それにしても難しい曲で、昨年の「チェロの日」でもこれをやって、難しすぎると不評であったが、またまたやるのは何か誰かの思い入れがあるのだろう。アマチュアだけではどうにもならない曲だから、プロアマ混合で演奏出来るこんな時しかアマチュアは弾けない、そういう意味では貴重かも(^_^) 目指すは舞台で綺麗に演じられるサルダーナではなく、街の広場で老若男女が繰り広げるサルダーナ。
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