このところ楽器を買おうかと思っている人が身近にいてその楽器を弾かせてもらったり、私も(買う気はなかったのだが(^^;))、2台ほど(しか?)触ったりして、それで思うのだが、音色についての語彙をどれほどもっているかという点、頼りない。
音色についてもどれだけ色んな音を区別できるかと言うことは、楽器を選ぶ時も大事だと思った。作り出す音についても音色を言葉にすることは大事だと思う。言葉にするということは意識すると言うこと。ただし、あまりにイメージを追いすぎ文学的になると本来の音色とは関係ない世界。
例えば、フォルテ、といってもただ音が大きいと言うだけではなくて色んな要素、性質があり、その時その場で、出すべきフォルテの音は複雑だろう。楽器の音が大きい、というのは楽器選びの1つのポイントかも知れないが、大きいけれどうるさい音もあれば、包まれるような音、広がりのある音、ふわっとした音、力強い音・・色々だろう。明るい音、つまった感じ、しっかりした音、柔らかい音、伸び伸びした音、甘い音、ノイズっぽい音、これに滋味溢れるとかしっとりとか音の特性と言うより自分の感情が交ざってくるから訳が分からなくなる・・・これを聞き分け弾き分けることができるだろうか・・・。色々な音が出せる楽器が良い楽器と言うことなのかも知れないけど、それができる楽器とは人間と同じで、バランス良く素直で明るい音なのかも。
そんな言葉なんかどうでも、良い音は良い、よい演奏は良い、良いか悪いかだけだ、っていうのは、未開民族の1,2、たくさん という数の数え方と同じだ。勿論それで済む人はそれで良いし、・・・でもそれじゃ楽器は買えない。
全てが満足できるような音を持つ楽器はそうはないので、楽器の持つ固有の音の特性のうち、自分に合ったものを探すのが楽器選びと言うことになる。趣味と言っても、オーケストラでばんばん?鳴らすのか、室内楽で精緻なアンサンブルを楽しみたいのか、協奏曲をホールで弾くのか、1人で狭い部屋で楽しむだけなのか・・それぞれの人の楽しみ方も色々で求める音も色々。
楽器を買おうという時、標準となるべき音の特性はどういうものだろうか。
私を含め、多くの人は、楽器選びを自分でする能力なんかないと思う。大概は、楽器屋の言いなりになるか、先生に選んでもらうか、だろう、けれど、自分でずっと長くつきあう楽器である。「良いものをください」ではバッチリ合うものが得られる公算は少ない。出来る限り、見かけも含め自分に合うもの、気に入ったものを選びたいし、そのためには、自分の好みがどういう音の特性なのか知る必要がある。音の語彙を増やさないと、その判断ができない。そのためには、音色について敏感になってと言うか注意して、そういうことが語られる場面になるべく多く立ち会うことだろう。
ところが、レッスンでもアンサンブルでも殆どは音程とリズムに集約されて音色が問題になることは少ない。アンサンブルでも音色に注意して演奏している人は稀である。(音色の変化と言わなくても、せめて、良い音、「楽音」を出すように心がけて欲しい。何の気もなくただ弦をこすったりしているナマの音はうるさいだけ。騒音に等しい・・で私は時々、言わない方が良いけど、「うるさい!」と叫んだりして顰蹙を買う(^^;))
だけど何故楽器をやっているのかと言えば、そもそもはその音色に魅力を感じたためではないだろうか。それなのに、どうして音色の研究をしないのだろうか。音色は、最後の課題ではなく、常に最初のテーマだ。
「求めよさらば与えられん」
(追記)だいぶ以前に(忘れてたけど)同じ事を書いてた。進歩がないなぁ。
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