昭和20年代、この大通りは都電が走っていた。渋谷から水天宮までのルート、9番だったろうか、思い出せない。ここは都電の停留所で言えば、桜橋下車。道路を挟んで右側には、金華小学校というのがあった筈。今は早稲田大学の建物が建っているらしい。
父は戦後ここに小さな紙の店を出して、店舗併用住宅だった。朝ご飯を食べて襖を開ければ職場って奴だ。とにかく、陽の当たらない暗い家で、押し入れを開けると何故か急な階段があり、そこから良く転げ落ちたのがいまだに語りぐさになっている。まだ、はいはいをしている頃、2階の物干し場から転落、しかし、ちょうど八百屋の自転車のかごに落ちて一命をとりとめた。私は気を失っていたらしいが、母は生きた心地がしなかったと言っていた。これ以降、アブナイ目に何度もあっているがいつも運良く生き延びた。守護霊の力だと信じている。(^_^)
都電の線路にかんしゃく玉を仕掛けて、列車爆破ごっこをしたこともあった。日本橋の高島屋デパートは徒歩で行けたし、都電で2駅くらいで築地、年末には決まって買い物にくっついていった、隅田川をポンポン船で渡って月島のグランドに野球をしに行った事も、懐かしい想い出。3歳のお祝いの写真があった。この千歳飴の袋をいつも持って歩いていたらしい。(^^;)
少年老い易く 楽鳴り難し 一寸の光陰軽んずべからず
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