5月末から、原因不明の激しい頭痛に悩まされ2週間後6月8日にやっと頭痛専門医のところでそれが帯状疱疹性のウィルスの仕業と分かり、点滴と特効薬の投与によって、なんとか頭痛からは解放されたが、顔面神経痛による片麻痺が残って、何かと不自由な療養生活を送っている。しかし、何とか、食欲も出てきて、体調は、麻痺以外、普通になって来た。投薬後まだ5日だから、そんなに簡単には麻痺はひかないだろう。
心に余裕も出てきて、古いLPを出してきた。CD では、発売されなかったようで、これしかない。1枚は、オーレル・ニコレのソロフルートアルバム。もう1枚は、ディヌ・リパッティの「ブザンソン告別演奏会」の2枚組箱入りLP。
「フルートの心ーーニコレ・フルートリサイタル」
モーツァルト:フルートソナタヘ長調K13
ドビュッシー:フルートソロのための シリンクス
イベール:フルートソロのための 小品
ベリオ:フルートソロのための 「セクエンツァ」
福島和夫:フルートソロのための 「冥」
JSバッハ :フルートソロのための 「パルティータ」BWV1013
シューベルト:「しぼめる花」の主題による序奏と変奏曲D802
いずれも名曲・名演奏で、もしCD があるなら欲しい。
フルート人口は大変多く、聴かされる機会も多いが、実は私は余りこの楽器が好きでない。音が直線的で倍音が少なく豊かさ、潤いに欠ける。良いなと思っていても1時間もすればその音色に飽きが来る。けれど、このニコレの演奏は、そういうフルートの欠陥を感じさせず、むしろ真摯な響きとして胸に来るものがある。初めて聴いたモーツァルトのソナタ、まさかこれが8歳の作品だと(編曲者の力もあるとは言え)誰が信じるだろうか。
ディヌ・リパッティの歴史的名盤は、CDになっていて購入したが、残念ながら、演奏しか入っていない。LPには、会場の拍手、リパッティがいつもするように指馴らしのアルペジオを弾く所など 死の直前最後の「歴史的」な録音が残っている。装丁自体も畏敬の念を込めて丁寧で、写真や文章も豊富で、この演奏家とその音楽を丁寧に扱っている。
(せっかくだからLPのジャケットに掲載された妻マドレーヌの文章を一部引用しよう。
『この録音の特別に感動させる性質はどんな人でも無感動でいるわけにはいきません。それは1950年9月16日、ブザンソンで行われた・・・短かったけれど輝かしかったあの人のキャリアの最終点でした。あの人は2ヶ月後の12月2日に33歳で死ぬ運命にあったのでした。大変病気が重かったのに、あの人はブザンソンで演奏するという、この約束、この契約を守りたいと念願していました。主治医が説得して思いとどまらせようとしましたが、無駄でした。それほど、”約束に背きたくない”というリパッティの決意は堅かったのです。あの人にとってコンサートは音楽に対するあの人の愛の誓いでした。それを、あの人は”重大なこと”であると考え、音楽を通して、あの人の演奏を聴きたがっていた大勢の人々に喜びを与えたいと願っていました。・・・あの人に付き添ってきた主治医がもう一度思いとどまらせようとしたほど病状は進んでいました。・・・爆発的な喝采がホールにたどり着いたあの人を迎えました。各地から聴きに来た聴衆は胸がいっぱいでした。聴衆は死にかかっていたーー本人も死期を悟っていたーー この若い天才の最後の演奏を聴くために集まっていたのです。・・・あの人にはもはや14曲の円舞曲のうち最後の1曲を弾く力がなかったのです。でも、ショパンでさえそれを許してくれたことでしょう。 疲労のためくたくたになって、息を切らせながら、それでもリパッティは彼にとって祈りであったバッハのコラールを弾く勇気を持っていました。・・・そのコンサートにいた人なら、あの心をかきむしるよう訣別を忘れることは出来ないでありましょう。・・・』
フルトヴェングラーの第9の場合もそうだが、舞台に登場する足音がLP(Angel2枚組)には入っているのに、CD にはない。ファンにとっては、足音のないものなんて価値がない(^_^) ま、この足音はご愛敬と言ったものだが、LPがお手軽なCDになったとき沢山のものも失われたのは間違いない。
リパッティのピアノ演奏によるバッハの幾つものコラール、それがバッハのコラールへの入り口だった。喩えようもなくピュアで澄んだ音色、夾雑物を含まない楽曲への真摯な姿勢・・いっぺんにリパッティのファンになった。40年以上前の話だ。
念のため、この日のプログラムは以下。
バッハ:パルティータ第1番BW.825
モーツァルト:ピアノソナタ第8番 K.310
シューベルト:即興曲第3番 OP90-3
〃 :即興曲第2番 OP90-2
ショパン:ワルツ集
てなわけで、昔懐かしいLP もたまには良いものだ。
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