県民をバカにしているにも程があるでしょう。これだけの災害があったにもかかわらず、他人を思いやる東北人がそのようなパニックになって事故だらけになるほど、秩序の無い人達ではありません。
福島県人が日本国の実験用マウスのようにされているように感じてしまうのです。
福島県内の旅館には、二次避難の県民が多数、滞在していらっしゃいました。自分の家を追われる切なさや、何年もほったらかしの家がどれだけ使い物になるか、近所のコミュニティーはどうなるか。誰もが考えてもいなかった問題が山積しています。
もちろん福島県人にはこれから、いろいろな差別等も多々あるでしょう。
経済や、今を乗り切るために・・という理由も分かります。働けなければ食うことも出来ない。だから・・もちろんわかります。ただこのような福島の状況が解決出来ないにもかかわらず、皆さんは原発に本当に依存していっていいのですかと問いかけたいのです。政治家?知事?官僚?専門家?東電?今回の原発事故ではどこも誰も機能していないじゃないですか!原発事故のあとは、福島県内に誰も立ち入ろうとはしなかったじゃないですか。東京で起こらないことは、ほとぼりが冷めたら粛々と対応する。そんな感じです。
戦争を知らない私は、事故の後の県民が逃げ惑う姿は、まさに戦争が始まってしまったと、その時には覚悟を決めたのも、昨日のように思い出します。私ですらそうなのですから、逃げてきた人達なんかはこの世の終わりとまで思うぐらいの衝撃だったと言っています。同じ過ちを繰り返す可能性があるものを、いつまでも考えるよりも、ここを機にシフトチェンジも選択肢の最上位にしても間違えでは無いのでは・・
日本人は喉元過ぎれば・・のように時間が経つと記憶が薄れて、危険な物でも「大丈夫」と思い込んでしまいがちです。
もう二度と第二の福島は作ってはいけません!!」
そして次のようなメールも頂きました。
「福島県が・・というだけではなく、普通に考えてこのような危険な物や事をそのままにしていてはもしもの時の対応は出来ないに決まっています。それが出来ると言うならば、もっと声を大にして「福島の問題は全て解決した!」と豪語したらいいのです。出来ないということは十分じゃないと言うことですよね?
日本人は気づき始めているのです。脱原発を原発立地市町村からやめますの言葉が出てくるまで見守って行きたいと思っています。」
私が追加したり解説するまでもない、 福島のことは何事でもなかったかのように原発再稼働を叫んでいる人達は、その主張を福島で行なってみたら良い。
沖縄の受けている負担の何十分の一でも、自分の所に持ってくることには反対だと言っている人達は、その主張を沖縄県民の前でも堂々と言えるのか。
小さな想像力を働かせることで、実際の問題は解決しないけれども、しかし、解決しなければならない問題ははっきりと見えてくる。そういうことが大きいと思う。それは他人事ではない、ということから出発しなければいけない。
「小さな創造力」ですね。
みんながほんの少しだけ、相手の立場になってみる。
大事ですね。
投稿情報: えにお | 2012-09-17 03:54
つい先日、日本学術会議が、原子力委員会から1昨年9月に依頼を受けていた、高濃度放射性廃棄物の処理についての政府への答申を出した。結論は政府が進めようとしていた、しかし、どこも受け手がない地表への埋設は再検討すべしということ。どうやっても危険なのだ。原発によって生じるごみの処理は世界的課題、ごみのことは考えずに原発を推進し、今更そのごみの処理に苦慮している、そもそもが原発とはそういうものだ。先の事は後の世代の科学の発展に任せようという無責任なもの。「青い空、白い雲、そのうち何とかなるだろう」これは、植木等の「日本無責任男」の歌なんだけど、これほどの無責任はない。
投稿情報: goshu | 2012-09-18 08:13