BS朝日TVで「カルテットという名の青春」という番組の再放送をみた。終わりの方で、バイオリニストが自分と替わって弾いた師匠である人の演奏を聴いて、泣いていた。
どうしたんだと問われて、そこに何かがあった。既に美しいものがあって、あえて「美しく」演奏する必要などない・・ただ、それを差し出せば良い、・・というようなことを言っていた。印象的な言葉だった。全然レベルが違うのだけれども、私なんかは、何を弾いても元のあるべき音楽を矮小化し、歪曲し、どうにもならないものにしていると思う。そもそも、楽器を弾くことが楽しいだけで、音楽をする楽しみ、喜びにまで行っていないと思われることが多い。
欧米の人は、音楽をもっと楽しんでいる、Playと言うくらいだし、禁欲的で修行みたいなまじめくさったようなものではないのだろう。よく知っている海外での活動の長かった(その音楽も人間性も素晴らしい)バイオリニストがいて、そのセミナーに参加する学生に、どんなことを一番注意されるの?と尋ねたら「音程とかリズムとかなんとかいうことより、音楽を楽しまない、喜ばない様子が見えると、烈火のごとく怒られる」と言っていた。音楽は素晴らしいものであり、それを演奏できることがどんなに幸せか、と言うことでもあるらしい。楽しむと言っても、にやにや笑いながら演奏すれば良いってものじゃない(^_^) 楽しむ、喜ぶと言うことは感謝するということでもあるだろうし、心の深いところから出てくるものなのだろう・・貧しくて子供が学校にも行けない国の子どもたちは、学校に行きたい、いけることをとても喜んでいる、当たり前すぎる日本の子供には分からない感覚だろう。・・そういうことが無数にある
「カルテットの青春」、私もバイオリニストの言葉にハッとしました。音楽の本質がそこにあると思います。
ちなみに先日、娘の勉強につきあって山本周五郎の「鼓くらべ」を読んだのですが、そこにも音楽の本質が書かれてありました。「祈り」は私なりにそれを心にとめて弾きました。心に届く音楽に少しでもなっていたのだとすれば、そのおかげかもしれません。
投稿情報: まかべ | 2013-01-03 10:31
まかべさん 今年もよろしく
正月早々よいテレビ番組でしたね。「心に届く」って事が一番大切ですね。
投稿情報: goshu | 2013-01-03 23:37