このブログは、2004年6月から始まっています。左のメニューの「アーカイブ」をクリックすると過去のすべての記事にリンクできます。実際は2003年9月から「ほぼ毎日の雑記帳」と題してブログを始めましたがそれは消滅してしまいました。
時のたつのは早いもので、インターネットを始めて18年。50才を記念して富士登山をしてからもう15年。これから先の15年は、これまでとはずいぶんと違うことでしょう。無事に15年が流れてくれるかどうかも分かりません。今、こんな事を書いているのを15年後に読んだら何を思うでしょうか。
このブログは、私の日記帳、メモという感覚で書いていますので、いろいろなことを思い出すよすがとなるでしょう。
昔は、年金をもらう人は死ぬ直前?のおじいさん、位に思って、自分とは関係ないと思っていましたが、ついにその年金を(雀の涙)もらうようになりました。近いうちにお墓の心配や、老人ホームなどのことも心配しなくてはいけなくなるのでしょう。昔、父が相続のことを口にしたりするのを妙なことだと思っていたのですが、人間は自分が死ぬことを知っている、今生きているのに、死んだらどうするこうすると心配している。親に色々言われても子供は親は永久に生きているとしか思えない。死ぬなんて想像できない。そして、死ぬと言っても、いつかは死ぬとは知っていても、それがいつなのかは、誰も知らない。父も、なくなる当日も、今日がその日だとは全く考えていなかった。(私は、ちょうど看病で1人病院にいて、別に普通にテレビの投資番組を見ていたのだが、今日が危ない、と直感して、家族を全員呼び寄せた。父はみんながやってくるので、どうしたんだと驚いていた)お芝居では、死ぬ直前に何か言い残したりする場面があるけれどあんな事は作り話で、ほとんどは何も言い残さないで突然そんなはずじゃないのに息を引き取るのだと思う。
このブログを書いて10年、あまり進歩もない気がしますが、書けているうちが花かもしれません。言い残すことは、特にないけど(^_^) これだけ書いておけば、何となく全部が遺言のようなもの、か・・?
まぁ、思いついたときに書いておいた方が良いので、(^_^) 何か言い残すとしたら、一言なら、smile ほほえみ、一番簡単でわかりやすい言葉。チャップリンの「モダンタイムス」のエンディング(死にたいという同伴者にほほえむように諭す)だ。人間何が大切か・・、毎日どんな考えでいるかと言うより毎日どんな心情でいるかの方が大切だ(これは小林秀雄が妹の結婚を聞いて書き送った手紙の中の一節で、妙に心に刺さった)、毎日のテレビニュースだのみていると心がかき乱されるだけで何もない、そんなものは人生にとって価値はない、できる限り柔和で平和な心を保つように(禅の言葉に「座禅とは打ち方やめの号令である」というのがある)、それが自分も周りも幸せにする方法。いきなり言ってできるわけではないから、日頃の心構え、訓練が必要だ。毎日沢山の悲しみや怒り、憤りに事欠かないがそれでもそれに支配されない。無理にでもほほえんで、心を鎮めて、もっと大きな深い世界にも目を向けよう。その導きとなってくれるのが芸術というものではないだろうか・・。
コメント