歳をとってくると、あまり弾きたくもない曲だけど練習のために挑戦すると言うことはだんだん億劫になってくる。だから、昔暗譜するほど練習した曲を復習するというのが良い。もっと音程を正しく、もっと速く、もっと音楽的に・・というわけ。
これまで、チェロを習い始めてから、「難曲だ」と思ったのは、その時々のレベルがあるが、それほど沢山あるわけでは無い。弾ける弾けないとは関係なく、ハードルが高かったという意味であって、難曲だと思わないが弾けない曲は沢山ある(^_^)。
2年目くらいにぶち当たったビバルディのニ長調のコンチェルト。第3,5、6ポジションあたりを激しくポジション移動しながらアレグロで行ったり来たり弾きまくる曲。それまでは毎週1曲づつあげていけたのにここで突然1ヶ月かかったのを覚えている。昔の鈴木メソッドの佐藤チェロスクールという教本の確か第3巻だ。何故難しかったかと今思えば、左手の脱力ができていなかったからだ。今だってできていないと思うが・・。あのときこれが難曲だったのは、チェロをはじめて2年程度で練習の仕方も分かっていなかったと言うことも大きいと思う。無闇に取りかかっても効率は良くない。今、私が教えたらもっと早く楽しく?難曲と思わず勉強できるだろう。難曲じゃないものが難曲になってしまうのは理由があるということ。
それから、第4巻の終わりに入っていたバッハのミュゼットも超難しかった。佐藤先生は、ともかくカザルスのレパートリーから選曲していたから、教本の難易度の構成なんかあまり気にしていなかったのだろう。教本と言うよりカザルス名演集みたいだ。なんとか息も絶え絶えであげてもらった。この曲はカザルス以外録音していない。あの輝かしいトリルはカザルス以外では弾けないだろうし、今でも弾く気がしない(^^;) これは本当に難曲の仲間だと思う。弾けたとしても応用が利かず、練習の課題曲としてふさわしくない。何故、こんな曲が4巻程度のものに入っているのだろうか、ぷんぷん!(^_^)
これらに比べると、その後の第6巻のアレグロアッパショナート(当時高等科の卒業曲だった?)とかコルニドライなんて楽しい練習だった。難しいところがあったとしても弾けないはずはないと思える程度で、手が届かない感じはしない。
それからほぼ30年、あまりチェロの練習をしなくなっていたが、2005年から再び練習開始。ウエルナーから始め、ドッツァウアー、クレンゲルなどやりながら、久しぶりに難曲?に挑戦したのが、フランクールのソナタ。1楽章は大好きだったが、2楽章は、ちらっと楽譜を見ただけで、カンケイナイワと長年本棚にしまってあった。1楽章は、あるとき倉田先生に聞いてもらったら、あら2楽章は?と言われ、絶対に弾けません、と答えたら、あら、弾けるわよ、勉強になるわよ、と言われ、気になっていたのだ。駄目に決まってると思いながら、やるぞと決めたら、1日2小節づつやればいつか終わる、と言い放って練習開始したが、1日半小節くらいがやっと。それでも1音づつチューナーで確認したり、指を確認したり超スローで進んでいった。音大生はこういう曲が好きらしいのだが、基礎もできていないのに60才近くになってから挑戦するのはなかなかだ。それでも一応暗譜して人前で弾いた。頭が真っ白だったが時折編曲を交えて手が勝手に動いた感じ。
絶対不可能と思っていたのがとりあえず弾けると、人間欲が出るもので、成長が否応なくストップする前にもう少し進んでみようかという気になる(^_^)。 歳をとってきたので、練習曲をこつこつやるのは面倒だ?と、いっぺんに片付きそうな曲と言うことで先生に任せたらパガニーニの「モーゼ幻想曲」を勧められて挑戦。これは、挑戦と言うにふさわしい。何しろ所々音が出ない(^^;) 音が出ないなんて事は今までに経験がなかった(^_^)
とりあえず、これも暗譜して人前で弾く事はできた。ちゃんとは弾けないが、1度暗譜した曲は練習するのも容易なので、時々復習する。1日練習しないと弾けなくなる曲だったが、難所はだんだん減ってくる。1度通過すればもう弾けなくても自分にとっては「難曲」ではなくなって、練習すれば弾ける気に(^_^)なっている。
だから、難曲だからとあきらめて、棚の上にのせておいてもいつか段々上手になって弾けるかもしれない、ではなくて、そういうぬるま湯につかっていないで、いきなり断崖絶壁から飛び降りる心境で、しかし、長いロープを垂らしておっかなびっくり一歩づつ降りていくという経験も必要だ。
この後、アルペジオーネとかハイテク?な曲も遊んでみたが、・・・
でも、そんなことしてもバッハの無伴奏の1曲がうまくなるわけではない。だから、もう難曲?には挑戦しないで、バッハを弾いていきたい気分。バッハを練習しているとこれまでレッスンでしつこく注意されたことを思い出す。音楽的な音を出すための基本的な注意だ。スタッカート1つでもそれが少しでもちゃんとできるようになるととても嬉しい。(それが分かったりできるようになるのに難曲への挑戦も含めこれまでのいろいろな経験が役に立っている)バッハを弾いているとそれが価値のあることだと分かる。一音一音の価値、生きた音、そういうことの積み重ねでバッハの世界が広がっていく。基本もできていないのに、自分の曖昧な気分だとか雰囲気だとか思い入れのような「自分」中心の気持ちの悪いもので、死んだ音を並べて、バッハを弾くべきではない、と言うか弾きたくないと思う。
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