今日は、何故か、高校時代の同級生4人が我が家を訪ねてくれたので、四方山話。夜はなじみの寿司屋で2時間ほど過ごして解散。男子校で、初めて知り合って50年になる。何しろ1クラス54人という団塊の世代だから、同級生と言ってもろくに話しもしなかった人が沢山いる。その後大学に進んでばらばらになり、最近になってあちこちで集まるようになり、色んな経験を持つ仲間としていろいろな話が出来るようになった。
小学校の同窓会などは、もう消息不明の人の方が多いし、集まってもあまりに境遇などに差があり、なかなか話をするのも難しいところがある。多種多様なのはおもしろいが、会話には神経を使う部分もある。が、高校の同窓会は、色んな意味で同じようなレベルだから、社長であろうとなんだろうと自慢することも卑下することもない。話は安心して通じやすい。すべては1つの経験・エピソードに過ぎない。優劣はない。
54人いた同級生のうち8人はすでに物故した。データ化するのが好きな者に言わせると、死亡率15%・・かつイニシャルがMとT の頭文字の死亡率が高い・・とかなんとか でも、65才を過ぎると生存率が上がると言うことなので、しばらくは安全地帯にいるらしい。
それにしても、私は1つだけ未だに大変申し訳ないことをして取り返しがつかないと思うことがある。それは卒業アルバムである。当時写真部にいた私は、信用とか信頼とかに関係なく、ただ面倒なだけのいい加減な同級生たちの提案で、卒業アルバムの制作を一任された。平凡な事はやりたくない私は、クラス全体の写真をお行儀良く並んで記念撮影するのではなく、それぞれの顔写真を切り抜いて、蜂が飛んでいるイラストを描いてそこに顔を貼り付け、それぞれ、その人らしい言葉を書き込んだ。それならまだしも、事もあろうに(生徒に愛されているとはいえなかった)担任の先生を生徒のうちの2人が矢で打ち落として、真っ逆さまに落ちていくと言うイラストを描いた。生徒は、「やったぁ!」などと叫んでいると言う調子だ。なんの検閲も受けず、そのままアルバムになったが、他のクラスのアルバムは、おとなしく整然と、和気藹々の雰囲気で、作られていたから、できあがったのを見たときは、さすがにまずいと思ったが、後の祭りである。若い頃は非常識だが、未だに私には未熟なところが沢山あって、しばしば思い出しては顔が青くなったり赤くなったりすることがある。反省の日々である。もうちょっと、常識的に、人のことを思いやり、すべての人に喜ばれるような配慮が出来るような人間になるべきだと思うが、そうなるべきだと思うこととそうなりたいと願うことは違うのである。
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