前庭に移植した黒文字の花が咲いた。高級な爪楊枝の素材となる木で、枝を折ると良い香りがする。移植する際幹の上の部分が折れてしまい、ガムテープと麻の布で巻いてギプスをして1年、無事に育ったようなので,ギブスを外した(^_^)
庭の花が次々と咲いてきた。
昨日は大工さんが最後の仕事にやってきた。実家の客間の丸窓に付けられていた障子を2つの窓に1枚づつ付けた。空いている部分には何か細工をしようと思っている。大工さんは腕が良いので、先日寸法だけ測りに来て,今日は、桟をはめたらぴたりと収まった。現場で調整する余地はほとんどない(^_^)
今日は,ずっと庭仕事。サクランボの苗木を5本移植、その他アジサイ、カイドウ、ブーゲンビリア、名前の分からない紫の花の咲く木を5カ所に移植、それから、しだれ桜の根の周りを掘って肥料をまいた。相当疲れた(^^;)
庭仕事の前に、バッハをさらったが、松脂のせいかとても弾きやすく、しばらく弾いていなかった曲もこれまで以上にさらっと弾けた(^_^)v バッハを弾いているとオケの曲の練習する気がなくなる(^^;) (と、いっちゃぁいけないぞっと)
チェロは難しい、だが、ほとんどの曲はそんなに難しい超絶技巧を使うわけではない。ほとんどは部分的に取り出せば簡単に弾ける曲だ。その簡単なはずのところが上手に弾けない。オーケストラで皆でガチャガチャ弾いているときはどうでも良いようなものだが、室内楽とかソロとかで丁寧に弾こうとしても、そう思ってもそうはならない。急にはどうにもならない。指が回らないパッセージは練習すれば割と短時間で慣れてきて、出来るようになる、が、そもそも簡単な部分を音楽的に弾こうとしても、ちょっとやそっとで出来ない。
大体、そこそこ音程が良くて指が滞りなく動いて最後まで弾けたらそれでアガリってことになり、その後音楽的な空想を交えて弾ければそれでよしなんて思ってるのがアマチュアかもしれないが、常日頃、丁寧に、良く自分の音を聴き、良い音を出そうと意識していなければ,付け焼き刃ではできない。良い音,良い響きを出せないとそもそも音楽は始まらない。演奏とは,楽譜を音に変換する事ではない、どうしても習慣的に頭が良いのか悪いのか「楽譜を読む」ことから音楽を始めがちだが、本当は,音楽は読むもんじゃない、まず音から始まるのだと思う。音の中から次の音へとわき出るように溢れるように流れてくるのが音楽だ。丁寧に良い音で弾こうと思って少しでも出来ると音楽が違ってくる。音楽の神様が降りてくる・・それがよく分かるのがバッハだ。・・・と思う。
でも、昔に比べると我ながら進歩したと思う。横でずっと聴いてきた妻もそう言っている(^_^) 何より音がよくなってきた。昔は練習がうるさいと思っていたそうだが,最近はもっと弾いても良いと思うらしい。
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