毎日のニュースに引っかかっていると大変で、私たち夫婦はもう自民党に限らず政治家がテレビに出てくるとチャンネルを変えるのが当たり前になってきてしまいました。たちの悪い中学生みたいな発言を聞いていると、胃潰瘍になりそう。どうしてここまで低俗になれるのか・・
中学の時憲法を読んで感激する一方、実際の政治家はまったく憲法を大切にしないしないがしろにしているのが不思議で仕方なかったけど、そもそも自民党の古い議員とその影響を受けている連中は、明治憲法とその時代を美化して、そこに戻りたいと思っているとしか思えない。今の憲法がアメリカの押しつけだとか言ってる人は、帝国憲法が日本の正当なものだと思っているのだろうか、帝国憲法は国民にとって押しつけではないのか。戦後すぐは 愚かな戦争で、悲惨な末路だったことを日本中の国民が反省し、平和を何より大切にしようと考えていたはずで、現憲法のうたう「平和主義」を多くの国民はすなおに受け入れたのではないだろうか。宮沢元総理が、米国大統領来日晩餐会で挨拶にたって、戦後の民主主義に触れて大変感動した、心の中に青空が広がる思いだった(記憶不確か)と率直に言っていたのが印象的。多くの人は評価していないが、私は、宮沢さんは結構正しいことを言っているし議員の中では知的に洗練された人だったと思う。彼は、こうも言っている、政治というのは、なるべく表に出ない方が良い、司は司で官僚に任せるところは任せる方が良い。なるべく、事務的に、政治的意図(権力)などない方が良い、とかなんとか。これも1つの見識である。いわゆる政治主導とかいって官僚任せだから良くないと言うようなことを言っているのは、本来逆さまだと思う。いらないのは政治家ではないか。というより、主権在民ということを忘れてはいませんか?まぁ、どこを見ても惨憺たる日本の民主主義だが・・。
実現性は低いけれど、日本の民主化が可能になるには、国民の政治教育が不可欠。政治教育とは民主的な政治を実現するためのスキルを小さい頃から身につけると言うことで、それは、フランスでは当たり前らしいし、アメリカでもそうだろう、民主主義を標榜する国はそういうことを基本的にやっているのに、日本では、政治家がそもそも民主主義を理解しない、否定したいと考えているから、やってこなかった。
私も民主主義について様々な経験から、こういうことかと理解したのは30代になってから、精神医療の実験的な考え方の1つ「治療共同体」と言うことを勉強した頃からだ。
ところで民主主義と言っても 「聖書」「資本論」というような書かれた教義?があるわけでは無いので、これを定義・説明しようとすると結構困るのである。昔ポーランドが独立?してワレサ一行がアメリカを訪問して、民主主義の教科書を教えてくれと言ったがアメリカ人も困って考えたのが、リンカーンの演説集だったという話がある。一言で言えば、主権在民(国家でもましてや政治家でもない)。色々な制度や仕掛けもすべてはそのために、それを実現するためにある。制度を真似しても仏を作って魂を入れず(知らず)では意味がない。
今の政治家達が何故こんなに下らないのか 怒ったり嘆いても仕方ない、憲法の日があっても本来憲法に書かれた民主主義について国民を啓蒙したり、尽力すべき政治家が、そもそも民主主義を理解していないし、押しつけ憲法だから無視するというような態度(これ、憲法違反)をとり続けたのだから、いまだに小学生以下の国民理解であっても仕方ない。民主主義も憲法も1つの理念である。未だ完全な民主主義国家というのは存在していないし、常に実験中である。例えば、多数決原理を民主的意思決定の方法だと思っている人がいるが、多数決は民主主義とは関係なく、法王を選ぶとき等封建時代の昔からの方法の1つに過ぎない。民主主義は個人の尊厳が主であることを考えれば、集団の意思決定など至難の業である。だから、今も改善の過程にあり、1つは、ある決定には責任・制限や期限を設け、修正を可能にする配慮をする等、様々な工夫を凝らしている。そもそも民主主義という言葉はまだ若いのだ。
様々な現実的な制度には確かなものはないとして、民主主義の中で一番大切な理念は、「基本的人権の尊重」だ。これはフランス革命当時の思想家ルソーの発明である。これは恐ろしく不可解な、常識では理解しがたい事柄である。人は「生まれながらに」「誰でも」持っている権利がある、生存する権利、個人の尊厳、自由であること・・・。それは、理念であって、現実には人は生まれながらに平等ではないし、自由でもないし、存在すら怪しい。しかし、その理念に基づいて発想しなければ人は平和に幸せに暮らせないと言うことだと思う。そのことを理解させる教育が必要だ。
大切な事は、教科書的に民主主義はどういうもので、どういう制度かなんてことよりも、自分の中で民主主義とはどういうものかを知ることである。人が生まれて世の中で生きて成長して行くときそれを支える原理が何であるかという視点で考えるべきだと思う。すべての人間は1本の葦のように弱い、それがどうして生きていけるのか・・。だから、人は生まれながらに守り守られながら成長したいという欲求を持つ。人の心の成長・柔軟な社会性は民主的なコミュニティによってこそ実現できるものだと私は思う。と、偉そうなことを言ってるようだが、これは私の生活体験による感想である。
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