NHK TV の人気番組に「家族に乾杯」というのがある。ここで礼賛される家族とは、呼べばすぐ3世代が集まってしまうような昔ながらの大家族だ。戦前の日本では、当たり前だった?暮らしぶり。戦後、アメリカの占領政策により(日本にアメリカの小麦を輸出するためパン食を広めよう、そのためには、大家族でご飯を食べる習慣から核家族化を推し進めて、パン食を広めよう、と言うことだったという説もある)様々なことが変わった。
こうしたテレビの番組は、戦前へのノスタルジーなのか、都会へと人口集中するこの時代にあって、田舎でしかあり得ないような家族の風景を映してどうしようというのだろうか。「核家族に反対」という番組でもあるまいに、一人っ子あるいは子無し家庭が増えているのに、いつまでも大家族は良いなんて言ってて良いのだろうか。ま、一種のおとぎ話と言うことで、文句言わずに楽しめば良いのだろうが。
私は戦後生まれの戦争を知らない世代だから、戦前の暮らしについては、本で読むか、映画とかテレビで見て想像するしかない。一番おもしろかったのは、ドイツ文学者の手塚富雄さん(高校時代、ゲーテとかヘッセ、ニーチェなどこの人の翻訳に親しんでいた)が青年時代を回想して書いた「一青年の思想の歩み」という本だ。大正時代の空気から,軍部が台頭して日本がゆがめられていく太平洋戦争に至るまでの事が、当時を生きたごく普通の青年の正直な感想として、社会のこと自分の心の内のことが率直誠実に書かれている。私の知っているこの戦後社会がそれまでの暮らし(大正から昭和初期)と比べて如何にいびつかが分かる。これは、一部の右翼がいうようなアメリカの押しつけ憲法がどうのという話ではなく、むしろ、日本人が、価値の大転換が起きた戦後に、精神的虚無状態となって、ただ、ひたすら経済の発展のみに邁進した結果だと思う。それまでの日本は、江戸時代から続く精神的伝統が深く根を下ろしていて、一種の武士道の精神、「武士は食わねど高楊枝」「ならぬことはならぬ」に代表される精神主義が身を律する倫理にあったと思う。公と言う概念もあった。公というのは,国家や時の政治体制や政府のことではない。自分中心のわがままではないコモンセンスである。それは「言うまでもないこと」だが、人を殺したり傷つけてはいけない、人をだましていけない,困っている人、弱いものは助けなくてはいけない、上に立つものは無私でなくてはいけない・・等々。
西欧先進国でも核家族化が都会では当然進んだと思うが、もう1つの価値観も根強く、それは家族第一主義だと思う。フランスでも、家族のためと言うことは優先権が有り、日曜日は家族が集まって過ごす日と言うことが徹底しているらしい。言わば、それが公の常識である。戦後日本では、心の空白を埋めるかのように、ともかく経済優先だから、家族のことは顧みず会社のために働くことが美徳とされた。だから、もし日本でも家族に乾杯みたいな事を美風としたいなら、田舎の昔ながらの生活をしている人たちではなく、都会でばらばらになって働く人たちに,家族優先の考え方や慣習、制度を作るようにするべきだろう。NHKがもしそういう風に啓蒙したいなら,別の角度から番組を作らないと・・。要するに,核家族化が極端に進んで,家族などいなくても良い,むしろ邪魔で負担であるかのごとき体制(最近の保育の問題に対する冷たい無策)、助け合う地域も無い真空状態で生活することが長く,今、老後の介護や,病気、生活の様々な問題に工夫が必要になっているのだから。田舎の大家族は良いね,ではなく、都会でもどこでも、家族を大切に出来る社会、それを支え認める社会を作ろう,と言うこと。法事と結婚式でなくても、家族のためが休みの理由として認められるようになれば良い。
私は昔の日本が好きだ。昔とは、戦争直前や戦争中の日本ではなく、右翼・軍部によってゆがめられていく以前の日本、大正時代の自由なロマンに満ちた日本の空気だ(手塚さんは、この時代が日本の歴史の中でもっとも自由な精神に溢れた時代だったと言っている。)日本に常識というものが生きていて、一定の倫理観が社会を律しているような、例えば,立派な校長がいて間違った政府の方針や父兄に対して教育者の立場からきちっとものが言え、人間力のある校長先生から言われたらハイと言って素直に従うような社会だ。つまり、利害や支配欲でなく見識のあるリーダーがいた時代だ(幻想かも知れないが)。と言うか、そういうリーダーを成立させるほど社会にコモンセンスが行き渡っていたと言うことだろう。
昔のことは美化しがちだから、割り引くとしても,その昔と比べると,随分日本人は劣化したものだ。ゲームソフトで探さなくてもモンスターがあちこちにいて社会を歪めている。
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