ある事情があって古いレコードを持ち出して久しぶりに聴いてみた。をたく専用?のクリーナーで汚れを取り針を落とすと昔懐かしい、スクラッチノイズが・・でもすぐに音楽が鳴り出すとそんなことは気にならない。なんだか違う時間が流れ出す。
およそ、デジタル化というのはどういうことだったのか、どうあるべきなのかということは一考に値する。まだ、中途半端なデジタル化が進行中と言うことなのだろう。近頃ハイレゾ音楽というのが一部で流行のようで生の音に限りなく近いとか言っているが生の体験と近いとはいえない。
それはともかく、LPに針を落とすと、ついつい聴き入ってしまう。それは生の一回限りの演奏に近いものがある。CDはついついBGM的に聴いてしまう。簡単に再生できるし手間もお金もかからないせいか(レコードの場合、針も盤も消耗品だし、メンテナンスが必要だ)、それが、ネットで配信されどこにでも持ち歩け簡単にコピーもできるとなると、音楽の聴き方も変わってくる。たとえ音に変わりがないとしても、聴く姿勢が変われば聞こえてくるものも変わる。
CDが全盛になったとき、第一に気に入らなかったのが、そのプレイヤーだ。トレーがするっと前に出てきてその舌の上にCDを乗せると中に引っ込んで行く。後は自動だ。LPプレイヤーになれていた身からすると、何より厳かさがない。LPレコードは、袋から取り出してから、盤の表面に触れないようにくるっとひっくり返したり様々な作法があり(表千家とか裏千家とか流儀があるのかは知らない)盤のゴミやほこりを取り払うための道具もいろいろあり、熟練の人には技もあった。ともかくCDはお手軽で便利だがものを大切に扱うという姿勢がない。今では、その「もの」すらないのだから話にならない(^_^)
なので、私は、往年の名機、マランツCD23-DAというプレイヤーを未だに愛用している。お鍋みたいなガラスの蓋を取って厳かにCDを乗せる仕掛けだ。30年以上前の製品で当時20万円以上した。
閑話休題
久しぶりに聴くLPレコードは、音楽を聴かせてくれる、ということは確かなようだ。様々な儀式めいたことは余計なことのような気がするが、実際そうでもない。茶道みたいにお茶一杯飲むのになにもあんな仰々しいことをする必要はない、はずだが、そんなことはない別の世界がある、ということだろうか。
おまけに思い出話
今から五十数年前、小学校から中学校にかけて、秋葉原はオーディオ街だった。現在その当時の店は数件しかない。テレオンとかダイナミックオーディオとか・・。小学6年生の頃、ゲルマニュームラジオを作るために、部品を買いに初めて秋葉原に行ったのを思い出す。原宿から秋葉原まで往復10円の時代。パーツ屋のおじさんに遠くから来たんだから電車賃くらいまけてよとか価格交渉?なんかした記憶がある。「子供の科学」という雑誌を見て様々なおもちゃを手作りしていて、その材料を買いに神田に出かけたりしていた。秋葉原は、いつの間にか、コンピューターそして携帯電話などが幅を利かせるようになった。オーディオ専門店は数えるほどしかなくなったが、濃いお客さんはまだまだいるものだ。専門店に入ると、時代の流れなんか関係ないという風な様々なグッズが売られているし、スピーカーケーブルの種類には驚かされる。オーディオファンは健在である。私はといえば、大学を卒業するまで、聴くのはフルトヴェングラーのレコード(SPからの復刻版)が主だから、ステレオもいらないし、アンプなんか何でもよかった。お金もないからスピーカーは三菱ダイヤトーンの16cmのフルレンジスピーカーを買ってきて菓子箱に放り込んで聴いていた。全然オーディオマニアではなかった。そういう風に音楽を聴いてきた人間なので、何を聴くかより何を聴き出すかが肝心だという感覚がある。たくさんの音楽を幅広く聴いて、知識を身につけ、耳や感覚を鍛えるということはなく、一か八かの一発勝負みたいなもので、分かるときは一瞬にしてストレートに分かるが、公正で?平均的な評価はできない。💦 その中で、すとんと分かったのはカザルスだった。
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