この季節、雑草刈りもしなくてはいけないし何かと外仕事は忙しい。気になる林の間伐もある。ペンションの改修作業はまだ半分残っている。一方、5月末のオケの本番に備えて練習もしないといけないし、春は何かと気ぜわしい。
・今日の一言シリーズ(いつの間にシリーズ化したのかな)
「花は愛惜に散り 草は棄嫌におふるのみなり」(道元「正法眼蔵」現成公案巻)
こういう美しい言葉をグジャグジャと観念的に解釈するのはどうかと思うが、仏法の根本を語るこの言葉を世俗的に解釈すれば、ごく自然な当たり前の事にふと気づくということか・・。寺の食事係である典座(てんぞ)を尊重する禅の心というべきか。
色々な教義を覚えて勉強して信奉するより、自分の普段の生活の中でふと個々の思惑を超えてある大きな命の流れ=仏に気づく、という事が大切で一番内容があるということだろう(と解釈)。ところが、1年365日、いつも忙しいとか充実したような考えでいながら、何も根本的なものへの「気づき」のないまま過ごすことの方が多い。これは仏法に限らない。様々な解説、解釈、意見・・が満ちあふれていてそれを沢山収集すれば物知りになった気になるが、心がざわざわするだけだ。
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