数年ぶりに復活したメサイアコンサート。朝の9時から、夕方6時まで、練習と本番2時間・・拘束時間が長く疲れた。しかし、指揮のI先生の人柄は皆楽しく演奏出来る(というと、この曲は人間の罪を背負ったイエスの受難の物語であり楽しい曲ではないとお叱りを受けるだろうが)。ほぼ満席(平均年齢70才位?)、客席にいるのはお客さんではなく、皆出演の合唱隊。遠く長崎、京都からも集まった熱心な人たち。中には、最前列で全部暗譜していてソロから合唱、さらにはオルガンの演奏まで、口バク、指を動かしながら聴いている「をたく」もいる
演奏しながら腕にしたAppleWatchで、有名な「ハレルヤ」の部分を録音してみた(^_^)
楽器によってそれぞれ興味深いものがある。楽器をやる人は自然に「をたく」になる。そうならない方がおかしいと思う(^_^) これが楽しいのだ。これが分かる人が友達になる。
高校時代、起きている殆どの時間をギターの練習に費やし、ギターが弾けない電車の中や何かでは本を読んでいた。そんなことしていたら成績は最低だ。そんなに一生懸命やっていたことは、何かの役に立ったのか。答えは明確にノーだ。何の仕事にも役に立っていないし何の社会的貢献も無し、経済的にもゼロ。無駄な事だったと思うが、ただ1つ言えるのは、利害損得を離れて好きなことに打ち込む(と言ってもゲームやパチンコに夢中になると言うことではなく、心を込め思いを込めて努力しているという意味)同じような体験を持つ人のことは分かる。同類は分かるし、ある信頼感がある。ただ、それだけだ。余計な事を一言言わせてもらうと、こういうこの世のものとは思えない世界(「第2の現実」)に、俗世の基準、規範を持ち込む人がいるがとんでもない輩だ。例えば、オケのプルトを気にしたり、どうせろくでもないのに自慢したり・・大切な事が分かっていない。・・ま、これもそもそもたいしたことじゃない(^_^)
一人でつぶやいているだけのことだが、無駄と言えば無駄、無意味と言えばそうかも知れないが、考えようによっては、世の中で一番大切なことは無駄な事の中にあり、こんな無駄をしなかった人生はまさに虚しいものかも知れない。・・と慰めよう(^_^)
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