山中湖でペンション経営して今21年目に入っていますが、オープン直前にペンションガイドに載せたものを出してみました。この記事を作る頃はまだ建物が建っていないので、絵に描いたペンションです。当時はペンションブームがまだ続いていたので,お客さんの8〜9割は若い女性グループでした。懐かしい時代です(^-^)。
昭和59年5月オープン。電話番号も違うし,定員は26人。1泊2食付きで6790円(この当時は料飲税込み)でした。定員は現在は22人。料金は,現在9000円ですから、20年で1210円(18%)値上げしたことになります。当時の大卒初任給は確か13万円くらいでした。
「脱サラ」という言葉がはやっていて、「オーナーも脱サラですか?」としょっちゅう聞かれたものです。(若い子はそんなこと聞かない。おじさんですね,そういうこと聞くのは(^-^))当時,私はこの脱サラという(日本人は何でもすぐ4文字表現になってしまう(^^;; デジカメ、プリクラ、ふゆそな、・・・そうすると日常生活用語、なんでもないことになります)言葉が大嫌いでした。あなたねぇ、あなただって「あんたサラリーマンか」と言われていい気分ではないでしょう。誰もサラリーマンなんてやってない、そんな職業はないんです。仕事はサラリーマンなんて人はいません。独立起業することは、そんなに簡単気楽なことではないんです。当時はまだ,一流会社を勤め上げることが尊ばれる時代でしたから、脱サラ=現実逃避、脱落者という感覚がおじさんたちにはあったのでしょう。
さて、先年亡くなった私の父は丁稚奉公から無一文裸一貫で会社を興した人物だったので、ペンションをやるについて保証人になってもらう都合上相談したところ、男として生まれた以上企業経営することには賛成だ、会社や上司の悪口をぐだぐだ文句言ってるような生活も良いが,それより責任を負って仕事をする方が良い。ただし、お前の事業計画では10年もかかって償還するようなものは事業とは言えない,それは道楽だ。事業なら賛成も反対もアドバイスもしてやれるが,人が道楽でやることには賛成も反対もしない。保証人にはなってやるが援助はいっさいできない・・・でした(^^;; 元々援助してもらうつもりもなかったので、全財産を売り払って、銀行からの目一杯の借金(当時の金利は固定で7.6%)と,友人たちからの借金とでオープンしたのでした。最後の2週間は生活資金も底をつき、友人から10万円の追加借金をもらって,後は工事代金も広告代もシーズン後の後払いで(^^;;(^^;; いやはや大変でした。この当時、人生最悪の人間性になって、業者を叩きいちゃもん付けやくざのように必死になっていました(^^;;)これは,でも,当時他のペンションも後から訊いてみると似たようなもんでした。 それにしてもハイリスク、ローリターンだったなぁ・・・
ペンションをやって何が良かったか(と,誰も聞いてくれないが)・・・第一にいろいろな人と知り合えたこと,これが最大の財産と言えるでしょう。これからも精進して(ほんとか)すばらしい人や、すばらしくもないがすてきな人、そうでなくても「善い」人たちとお知り合いになれたら幸せ。
オーナー写真アップきぼー。
投稿情報: てらもと@上天気 | 2004-10-22 18:53
Macをお使いの方は、コマンド+オプションキーを押しながらキーボードのDeleteキーの左の「+」キーを押すとどんどん拡大されます。場所の移動はマウスを動かしてみてください。縮小する時は、そのもう1つ左の「ー」キーを押すんです。以上(^-^)
投稿情報: goshu | 2004-10-22 19:18