この季節、山中湖の花である「サンショウバラ」が家の庭にもたくさん咲いた。しかし、この花を見たことがある人は少ないだろう。1日で散ってしまうこの大きな一重のピンクの花は、梅雨のほんのわずかの期間にしかみられない。
関係ないが、本居宣長に「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」という有名な歌がある。
これについて、何故か、散り際の美しい桜=日本の武士道、大和魂を表現したと解釈され、特攻隊の隊名にも付けたりした歴史が有る。ナショナリストが好む歌ということにもなっている。
前にも書いたことがあるが、これもどう考えてもおかしい。何故、桜は散り際が潔い=日本人なら潔く死ね、とこうなるのだろうか。大体、山桜と言う日本古来の桜は、そんなに散り際が良いか。
サンショウバラに比べると桜は結構長く咲いているのである。それでももっと長く見ていたいからそう感じるだけではないだろうか。ましてやソメイヨシノと違って、山桜は最初から薄く柔らかい新芽の葉とともに出て、結構長く咲いているものだ。それほどピンクが強いわけでなく殆ど白、額の部分だけがほんのり赤く染まって、遠くからは淡い柔らかい匂うがごとき風情である。それを、明治になって、戦争遂行をするために、ソメイヨシノのようにパッと咲いてパッと散る、それが日本魂だ、潔く死ねと曲解して教育したのだろう。それが延々と続いているのだろう。大体、この歌のどこに、散り際の事がうたわれているか。朝日に輝いて最も生命感あふれる桜が美しい、大好きだ、といっているだけではないだろうか。
オーム真理教のおかげで、多大な迷惑を被った電機メーカーもあるが、「オーム」という言葉が最大の被害者だろう。キリスト教の「アーメン」のように、古代インドの最も神聖な言葉なのだから。本来、神聖なもの、美しいもの、素直なものが詐欺師のような政治家や支配欲に満ちた狂気で汚される・・・
さまざまな意図的な情報操作が行われ人権侵害が起きる。どの国いつの時代でも戦争の事情は変わらない。国民相互の友好を深めるのが唯一の防止策であり、海外との観光交流を深めるのは国家の安全保障政策の1つである。国の指導者がしばしばそれを忘れてしまう。どの国でも、権力者・権力集団が、自分の立場を維持しようとする時、何か正常な状態では思うに任せない政治的目標を強引に達成しようとする時とる手段は変わらない。開発途上国でも先進国でも同じだ。敵を作り憎しみを増長させる。白い花がピンクになり、白が黒になる・・・
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