ライカが経営危機(共同通信)
.というニュースを見た。
やっぱりついに・・・「ライカ版」といわれる現在の35mmフィルム規格を作ったメーカー、というよりともかく、ライカと言えば昔からの憧れ。やはり、デジカメ時代の到来で経営悪化・・
高校時代、私はNikkaというレンジファインダー式のカメラを使っていた。それと、ペンタックスSVという一眼レフ。
それから、だいぶたって念願のライカ、当時の最新型はM3だったから、4世代以上前のIIIF〔製造番号72万台のきれいなもの)勿論中古を購入。レンズがズミクロンが欲しかったが、これが当時でも5万円位してとても手が出ず、ズマロンというレンズだった。撮影するより磨いている時間の方が長かっただろう。
ライカと言えば、アンリ・カルティエ・ブレッソン、木村伊兵衛などが有名で、とくにブレッソンの決定的瞬間シリーズの中の1枚、ハーバード大学のキャンバスを人が歩いて行くところを上から撮影したものが、何故か強く印象に残っている。俯瞰位置というのが、何か、ロマンチックで構図的にも美しいとその後ずっと感じるようになった1枚だ。
カメラは道具だから、撮る人が撮ればどれでも同じと思えば思えるが、それが単なる機械とは思えないのがライカ。演奏家が楽器を選ぶのと似たところがあるのかも知れない。デザインなど創造的な仕事をする人がマックを使うのと似ている。計算端末なんかどれでも同じだと言えば同じだが、道具もやはり人が作るものであり、作る人の意思と使う人の意思が一致した時は、単なる道具以上のものになるのかも。
デジタルカメラはまだその性能も使い心地も、ライカには及ばない筈なのだが・・・ ライカが消える事はないかも知れないが、寂しい事だ。貴乃花が出て大鵬は引退を決めたと言う。ライカに代わるものが現れて道を譲ると言う事なら麗しいのだが。そんなカメラはまだない。
新しく出るものが、それまであった価値を継承発展させるという形なら、寂しいけれど拍手で新しいものを迎える事になるのだろうが、近頃の企業や製品にそういうものは少ない。むしろ低劣になって行く。その時良さそうだが、根本的に生活を破壊して行くような危うさがある。小さな商店が消えコンビニがその座を奪い、IT企業と称するものが金と力でそれまでの商売を飲み込んで行く・・・ヨシモトの「お笑いゲイニン」というのもそれに近い。そこには麗しいものが感じられない。何か空虚感が残るのは私だけだろうか・・・どうにも 世界が豊かになって行くとは思えない。笑いさえとれば良い、金さえ儲かれば良い・・人類はこんなことのために長い時間かけて来たのだろうか・・・
時代はまた、豊かなものを1つ失おうとしているのだろうか・・
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