これも30年以上前のアメリカの心理学の本で「服従の心理学」というのがある。これは、元ナチスのユダヤ人虐殺の責任者・アイヒマンが、南米で捕まって、イスラエルで裁判に掛けられた当時話題になった「アイヒマン裁判」のあと、行われた実験である。
上層部の命令に従っただけだと言う被告に対し、人間としての良心を問うた裁判であった。しかし、本当に、誰でもアイヒマンの立場にあったとして、良心に従って命令を拒否できるのか、と言う事が問題になった。
私の記憶が確かならば、実験は次のように行われた。
「科学の実験に協力して下さい」ということで、実験者を事前に報酬を払って(途中で実験を中止しても報酬は返さなくて良い)集める。実験の内容は次のようなものだと説明される。、電気刺激を与える事で学習が促進されるかどうかと言う実験である。被験者の手に電極をつけ、そのスイッチを実験者が持つ。いくつかの質問をして(その内容は忘れた)答えが遅いと、段階的になったスイッチの一番弱いスイッチを押す。答えが遅くなると段々その強さを上げて行く。(最後の方にはレッドゾーン「危険」と言うボタンもある。)別の実験協力者が、その反応時間と刺激の強さを計っている・・云々(実は、これは皆、嘘)
さて、この被験者は実は役者であって、電気刺激を受けるたび、「うっ!」とか反応するふりをしている。
また、被験者の中には、ちょっと心臓に問題がある人もいる事が、実験前に実験者に伝えられたりする。(勿論これも嘘の情報)
この実験の真の目的は、本来なら良心に照らしてやめるべき行為を人はやめる事ができるかどうか、ということだ。(30年以上も前に読んだ本なので、細い点は覚えていないので、間違いがあるかも知れない。念のため(^_^;))
さて、細い事は省略して、実験の結果はどうなったか。多くの人が、限界を超えて、電気ショックを与え続けたのである。被験者が苦しんでいる(演技している)のを見て、「大丈夫なんですか?」とか質問してくる場合、答えは、機械的に2つのうちどちらかと決まっている。「これは科学の実験です’「実験を続ける必要があります」その他の、判断材料や、示唆、意見は言われない。
「ちょっと、大丈夫なんですか、苦しそうですよ’「これは科学の実験です」「えぇ〜?えい~(ボタンを押す)」 ・・「あんなに苦しそうなら、やめたほうがいいんじゃないですか?」「実験は続ける必要があります」「本当に良いんですか?えい!」・・こういう調子である。
この実験では、何の強制もない、ただ、「科学の実験である」という一種の大義名分、権威が示されるだけ。やめるかどうかは本人の判断に任されている。実験を中止しても何の罰もないし、脅されるわけでも不利益があるわけでもない。つまり、何の強制もされず、圧力をかけられているわけでもないのに、つまり自らの意思で(権威に従って)、多くの人が、強いレベルまで電気ショックを与え続けたのだ。
何人かの人は、苦しむ人を見て、実験を中止した、職業で言えば、牧師と、教師であった。
ともかく、平時であって、本人の自由に任せられている状況であっても、科学と言う権威だけに従って、通常ならしないだろう行動をしてしまう。1度動き出した行動パターンを変える事ができない、ということか。もし、これが、自分の利害にからむ状況、自分や自分の家族や親しい人が脅される状況、従わなければ殺されるかも、等々であったらどうだろうか。誰からも強制もされず、自らが落ち込む洗脳・・・人間の心の弱さを暴き出した実験であった。「アイヒマン実験」として有名である。
自分の良心に従って、「それはできない」と言える人は そんなにいないと言う事だろう
日本では近年「オーム事件」で、その洗脳が問題になった。裁かれた被告には勿論罪がある、それはそうだが同じ状況で、私はそんなものには引っかからない、と言えるだろうか。
ただ、こうした状況の1つの特徴は、閉鎖された孤独な状況におかれた人間の弱さとも言える。もし、相談でき話し合える仲間がいたら、連絡が取れたら、状況は変わるだろう。
また、逆に、洗脳しよう、一定の方向に大衆を引っ張って行こうと考える側は、人々を分断し仲たがいさせ、孤立化して行こうと考えるだろう。
追記:多くの人がこの実験について、語っている。
訳本の名前は「服従の心理」、著者はミルグラム。ググって見ると色々出る。
こんなのもあった。
これに集団心理が加わったらもっとすごいことになるんでしょうね。
日本人はみんなと一緒が好きだからなぁ。
少数ながら自分の判断でやめる人が居たとしても、もしかしたらその方が良いと分かっていても、敢えて多数派に付いてしまう人が多いでしょう。
結局またそれで戦争が始まるかも知れないのに。
投稿情報: くまぱぱ | 2005-08-18 20:42