サンサルバドルの海岸に立つ美しい庭のあるカザルスの別荘を見てから、雨の中ずぶ濡れになりながら、迷いに迷ってやっと探し出したカザルスの生まれ育った家は、とても小さく、みすぼらしいものでした。カザルス一家がいなくなった後別の人が住んでいましたが、現在は町が買い取って一般公開しています。案内の方が大変美しい親切な人でカタルーニャ語は理解できませんでしたが、説明の殆どは既に良く知っている内容ですし、所々英語混じりになるので問題はありません。大変喜んでくれて、最後は一緒にカザルスのテープを聴いて過ごしました。中は、狭い階段を登って、8畳と3畳ほどの寝室、3階は8畳ほどの食堂と小さな台所、その出窓のような所から出てトイレは外にあります。実に粗末です。しかし、この家から、母ピラールの強い意志と愛情によって世紀の巨匠が世に羽ばたいて行くのです。
エル・ベンドレル(El Vendrell)の町のホームページにカザルスの生まれた家のページがあります(VisitorsからプルダウンメニューでPau Casals Native Houseを選ぶ)。ここには 入館料1ユーロ(140円位)となっていますが、受け取ってくれませんでした。
翌日、カザルスの亡命の地、フランスのブラードの借家も見ました。何の看板もなくただカザルス通りと言う名の看板が道路にあるだけ。荒れ果てた場所に、ひっそりとそれは建っていました. 玄関の上、「EL CANT DELS OCELLS」(鳥の歌)と書かれた小さな額だけが目印です。それにしても、既に世界にその名のとどろく大演奏家になっていたのですが、しかし、また、その家のみすぼらしいこと。昔から廃屋になっているホテルの敷地の中の玄関横の門番の家のような感じ、質素と言えば聞こえは良いが、おんぼろと言うほうが正しい。
ここで毎日、救援を求めるカタルーニャ難民からの沢山の手紙を読み、私財を投げ打って祖国の難民を救済するための活動を続けていたのです。胸の張り裂けそうな日々を送っていたに違いありません。風光明媚とは観光客の言う言葉、きっと寂しい孤独の中にいたに違いありません・・・音楽への献身と深い愛情が無かったら堪えられないことだったでしょう・・・
この後の活動や世界中から名演奏家たちが隠遁するカザルスの下に馳せ参じて開かれたプラード音楽祭、ホワイトハウスや国連での演奏などは、もう関係ないことに思えました。
ベンドレルとプラード、この2つの粗末な家が、カザルスの生涯を物語るに十分だと思いました。この2つの家を見られて感激でした。世界中の沢山の人たちがカザルスに絶大な賛辞を送ったその人となりをはっきりと感じることが出来ます。
今回のスペイン旅行のことは、写真の整理ができ次第(2000枚位ある)報告したいと思います。
はじめまして。
いつも楽しみにライブなど見させていただいています。
お帰りをお待ちしていました。
さっそく、カザルスの生家が見れてうれしいです。
なにしろ米軍基地がある街で、さらに自衛隊が来るというので本日も集会に行き、市をあげての決議をしました。
左手を腰に、右手を拳にしてがんばろうを3回やりました。
はじめてのことでした。
鳥の歌で気持ちを落ち着かせ、疲れをとろうと思います。
では、つづきを楽しみにしています。
ありがとうございました。
投稿情報: 風邪アザミ | 2005-11-13 20:08