私はブラームスのピアノ四重奏曲が大好きで、弾けもしないのに楽譜だけは全部もっている。でも、この五重奏曲は第5交響曲の下書きといわれただけあって、スケールが違う。正直ここまで来るとついて行けなくなるのは、やっぱり日本人だからだろうか・・あんまりスケールの大きな音楽って日本人には合わない気がする。ヨーロッパのあちこちにある大聖堂・・でも、日本人なら京都大原の三千院の阿弥陀堂のような自然の中にぽつんと小さく建っているあの風情の方が心落ち着くような・・
でも、日本人がブラームスを好きなのは、ブラームス自身が本当は大聖堂より小さなほこらに安心感を覚えたような気がするからだろうか・・
大学時代、ブラームスの交響曲はほとんど毎日聴いていた。いくらぼんくらでも毎日聴いていたらその本質を理解するときが来る。それから、愛聴版は晩年のピアノ小品(間奏曲、ラプソディなど)になった。これがブラームスの核心だと思うようになった。それと同じくらい共感できるのはピアノ四重奏曲。不満があるかも知れないが、その不満も含めて、これがブラームスだと思う。
雨に濡れた阿弥陀堂の美しさと言ったらない。関係ないが、なぜか雨が降るとブラームスを聴きたくなる。
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