ニュースによると、あのYouTubeが著作権云々のクレームのため、3万本の動画を削除したとか。確かに、DVDの画像や、テレビの画像などアップしていたものが結構ありましたから、ま、Googleが買収したと言うこともあり、いずれとは思っていましたが・・・。
わたしは幸いこの2日前までに、チェロのフルニエや、トルトゥリエ、ジャンドロンなどのお宝映像をダウンロードに成功。そのコメントを見ても、ほとんど純粋に敬愛するチェリストのお宝映像が見られて大喜びで感謝するようなことで、決して、著作権を侵害して利得を得るとは思えません。だいぶ前から著作権がどうのこうのと特にアメリカ辺りからうるさく「知的所有権」に関する訴訟などおきて、日本でも、コピーはちょさくけんのしんがいだ、そんな話題をねっとでながすのは非常識だ犯罪だ云々と得意になって語る人が増えてきた。岡っ引きに十手を持たせたようなもので、あほとちゃうか、とずっと思ってきたが、口に出せば非難囂々の雰囲気(^^;) いくらアメリカが訴訟社会でも、日本の何でもない普通の皆さんまでお先棒担いでこの惨めな文化を真似することはないでしょう。
前からおかしいと思っているのですが、著作権を主張するのも良いですが、見ちゃいかんと言うなら、きちんとした形で世の中に作品を出すべきではないか、と思います。
世界中にファンがいてその演奏の映像を熱望しているのに、持ったまま、人には見せない、誰かが見せると著作権を侵害している、と言う。問題は著作権ではなく、その演奏家の演奏や記録映像を世の隅々にまで伝える努力をするのが、委託されたものの使命ではないのでしょうか。自分が独占的に儲けるために、その存在すら隠し、儲かるようになったら世に出し、儲からないようなら他人が儲けないように邪魔をする・・。世紀の演奏を飼い殺しにしている人間や会社は、著作権侵害より遙かに重い人類の文化に対する罪(文化隠匿罪とか、芸術を闇に葬る罪とか・・)を問われるべきではないでしょうか。著作権とは何の権利なのでしょう。権利は良いが義務はないのでしょうか。
昔、野球のライバルチームから、苦手投手を引き抜き、飼い殺しにして、自チームの負けが減ればそれでよし、と言うような考えがあった(多分今でも同じようなことがあるでしょう)それとおなじように?本当なら世界に広めるべき価値のあるものを独占的して握りつぶすようなことも起きえます。
と言うか、ある重要な役(例えば、教育長とか教育委員とか)について何もしないのは、他のもっと有益な、もっと社会のためになる人を排除して、可能性をつぶすことになります。誰かが、教育について意見、提案をしたくても、それはつぶしてしまう。専門家に任せろとかしかるべき機関にゆだねろとか、結局無能な委員の権利・立場だけを守ろうとするだけ・・
他人にはやらせないが、自分からは何もしない・・・話は関係ないけど(^^;) こういう事はよろしくないですね。こういうのはあちこちで見られる風景です。
権利を持ち、立場、役割があるのなら、それが独占的なものであるのなら、それなりの見識や、不断の努力でその限られた保護された責務を全うしなくては・・他人の権利侵害を怒る前に、自らの責務を果たしているか問うべきではないでしょうか。
大体、個人がダウンロードして喜んでるくらいのことに目くじらを立てて、何様のつもりだ、と思っちゃうのであります。嫌な世の中だ・・
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