それにしても、人間の顔はその歴史を物語るという思いを強くした。昔から変わらない顔のもいるしほとんどは町であっても全く気がつかない。
でも、よく考えたら、私の高校時代は、周りのことに関心がなかった、自分のことだけひたすら考え好きなことだけに没頭していていた、ということが分かる。だから、同級生のことが頭に浮かばない、写真を見てもそれが同じクラスだったということも全く分からない。説明されても、そうか・・というだけ。
文学書を読むこととギターの練習をすることに明け暮れて、勉学にも時の流行にも全く関心がなかった。今、考えれば、同世代共有の話題というものがない。(^^;) テレビでよく団塊の世代がどうのというが、少なくとも高校時代(ビートルズ時代?)は、共有していない?(^^;) 寂しいことである。
その時私が没頭して起きているほとんどの時間を費やしていたことは、今あるいはこれまで何かの役に立ったかというと、何の役にも立っていない。享楽的な生活をしていたわけではないが、そういう生活をするものの方がより多くの人間的なものを学んでいたかも知れない。
一方、その当時、よく受験勉強の功罪といったことが言われていたが、感受性の強い多感な時期を受験勉強という事に費やすのは無駄とかもったいないとか・・という話だが、これは無駄ではない。無駄どころかこれほど功利的で役に立つ重要なことはないだろう。
今更、後悔するわけでもないが、無駄なことに青春を費やした・・ま、これが青春というものか・・・ただ、ただ1つ言えることは、何か好きなことに没頭する時期を過ごしたことがあるものは、面白い、そういうことが何もなかった人はつまらない・・ただ、それがどれほどのことかというと・・・(^^;)
そんな私ではあるが、今回参加できなかった私のために来月は有志で私の所に遊びに来てくれるという。全く申し訳ないことである。「集まり散じて、人は変われど・・・」高校大学と同じ空気を吸っていた仲間である。
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