鳥の歌はカザルスがある意味命を懸けた曲である。カタロニア民謡(キリストの生誕を祝って鳥たちが歌う)が元ではあるがカザルスが取り上げて以来特別な意味を持つことになった。ご存知だろうが、これは非常に特殊な曲 であり、カザルスにとっての意味を知ることなく平然とこれを弾けるチェリストはいない(と思う)。アマプロ関係なくチェリストが世界中で仲が良いらしいの はよく知られているが、同じように、チェリストである以上「鳥の歌」の意味と志の認識と共感(あるいは敬意)は共通であるように思う。チェリストだけがこのような魂の歌と言うものを共通に持っているのではないだろうか。
カザルスがこの曲をコンサートの最後に弾くようになったのは、祖国カタルーニャがナチスと結託したファシスト・フランコ率いるスペイン軍に蹂躙され多くの難民が出たことへの抗議、同胞への強い連帯の意志、平和への祈りを表すためである。その後第2次大戦は収束したが連合国はフランコと妥協しカタルーニャは開放されずフランコ独裁のスペインはそのままになった。これに激しく抗議したカザルスは、「フランコを認めるいかなる国でも演奏を行わない」と演奏家の命であるコンサート活動を停止した。そして亡命先の南フランスのプラドに引きこもり、難民への援助活動を私財を投じて行ったのである。(写真はそのプラドのカザルスの家の玄関の上に掲げられたタイル。EL CANT DELS OCELLS(鳥の歌)と書かれている。2005年秋念願叶って訪問)
その後世界中から演奏再開を求める声が上がったが、その都度、断固として拒絶した。「それはできない」と。(サンサルバドルのカザルス記念館の最後の部屋には、大きなガラスケースの中に世界中から、各界の著名人や政治家などから寄せられたおびただしい数の手紙が納められ、その上に大きく「それはできない」と書かれている)この辺のことは「カザルスとの対話」(白水社)に詳しく本人の言葉で書かれている。
94歳を過ぎてから、国連の招きで、総会場で「鳥の歌」が演奏された。それはテレビを通じてチェロや音楽に関係のない多くの人にも感動を呼び一躍有名になった。その時カザルスは、バッハやベートーベンもこの曲を愛するだろうと語っている。もう一方で、祖国カタルーニャについて多く述べている。カザルスにとって、これは単に美しい曲というわけではなく、平和を愛する独自の文化と伝統をもったカタルーニャに再び本当の平和がもたらされることを願ったのである。
カザルスが亡くなって1年後、あちこちでカザルスの追悼コンサートが行われ、日本でも、民放テレビで山本直純の解説で(カザルスの指揮を見ながら)読売交響楽団によるベートーベンの田園が演奏された。その後、チェリスト岩崎恍がカザルスの思い出を語り、山本氏が、では「鳥の歌」を弾いてください、というと、「いや、弾けません」と答え、山本氏がどうして弾けないかの説明を聴衆にしていた。カザルスにとってこの曲が持つ重い意味を知っていたら、自らを省みて弾く資格があるのかを問わざるを得ない、簡単には弾けないのが本当である。
勿論、時間がたち、曲自体の美しさから、純粋に音楽として広まるのは自然だし、今では多くのチェリストが演奏するようになった。そうは言っても、やはり特殊な曲であることに変わりはない。チェリストにとって、この曲は、敬虔な気持ちを表現するとき、瞑想、鎮魂・・・などの意味を持っているようだ。
鳥はしばしば人の「良心」を暗喩している。その良心とは、常に人一人の小さな声で「それは出来ない」という禁止・否定の形を取る。いわゆる「建設的意見」とは人を騙しても何しても山林を破壊しビルを建てるような時に使われる。その力にかき消されるような「そんなことは間違っている、それは出来ない」という内なる声、それが良心だ。思うに知恵も良心も、一人一人の心のどこかにあって普段は隠れていてあるときどうしてもいたたまれないように表に出てきてそっとその人にささやくような種類のものだ。「本当にそれでいいの?それは確かなの?それが真実なの?」だから、知恵も良心もしばしば行動の邪魔をする。それはともかく(^_^)・・
大量破壊と殺戮を繰り返した20世紀、戦争の世紀を生きたカザルスの心の歌、不正義へのレジスタンスであり、魂の故郷への郷愁と心の平安・・それが鳥の歌。
つい近頃、コレドール著佐藤良雄訳「カザルスとの対話」(白水社)が再刊されました。この本には、コレドールの求めに応じた沢山の芸術家がカザルスへの感謝を捧げています。その中にドイツの文豪トーマスマンの長文の讃辞があります。その冒頭と最後の部分を紹介しておきます。
「・・私がお送りするのは意見ではなく、むしろ深い尊敬の念であって、悪や道徳的に卑劣なものや、正義を侵すものに対する厳しい拒否が、激しい芸術と結びついているという、この一人の人間に対する喜びの混じった尊敬の念であります。・・
・・あらゆる時代を通じて、弱き人類は自らの名誉を救う人を必要としてきました。この芸術家こそ、人類の名誉を救う人々の一人なのです」
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