さて、いよいよ1回目。とはいえ、道具をそろえただけで何もしていない。前の日になって慌てて頂いたお手本を見ながら書いてみる。
おっと、その前に、墨をすらないといけないが、よく分からないまま水を入れたらこれが多すぎたのか、適当に摺っても薄い薄い。
さて、1枚目、「上」という字を書く。おっ!なんかいいぞ!筆がよいのか、何となくうまそうに書ける・・がぁ、縦の線がまっすぐ書けない。次は「下」だ。これは更に縦の線が曲がる。最後の止めのところがなんだか筆が割れる。う〜ん難しい。更に右の点みたいのが、お手本と全然違う。一体どうやってこんな風に下がまっすぐ直線的で上が丸く書けるんだろう。
書道とは上手な人の真似をするのが最初なんだろうけど、真似をすると言っても書かれたものを見てそれがどう書かれたか、どういう筆の動き手の動きをしたかを想像、研究して書くのだから、真似と言っても簡単ではない。一方その工夫や研究が楽しいのだろうか・・・。
とはいえ、ともかく1時間近くかかって「上下左右」だけなんとか書き上げ、教室に持って行くことにする。正座して書いていたら足が・・シビレタ・・
朝、教室に行くと、もう先に5,6人の方がいる。まごまごしていると、「書いてらしたの?」「はぁ」「じゃぁ、それを先生の所に出してきて」と言われ、教室の前で添削をしている先生の机の前に置く。おばぁちゃん先生だが、師範の師範の大先生らしい。
教室で書いている人は誰もいない。子供の習字教室とは違う。音楽のレッスンで言えば、録音したものを聴いてもらってそれで指導を受けるという感じ?楽器のレッスンとは全く違う。書いたものが全てで、訂正も出来ない。その結果の中に全てが表れていると言うことなのか・・・。なんだか書道って潔い。お手本が先生であり、それをよくよく見て書けばそれでよいのが原則か。
順番がくるまで椅子に座って遠くから先生の様子を見ている事にする。が、これでは勉強にならないから、近くで見ることに。草書だの、ペン習字だの、仮名だのは見てもなんだか分からない。楷書じゃなきゃ、楷書。
先生の筆と私の筆は全く同じものなのに、同じとは思えない(当たり前)。筆に弾力を感じる。さらさらっと書いては「この辺から払う」「あんまり先まで行ってから払うとかっこ悪い、払うのはいくら長くても大丈夫、だから、この辺から払う・・・」なるほど、筆はリズミカルで、肝心の所は丁寧でゆっくり書く。書くというより描くと言う方が当たっている。
さて、ようやく私の番だ。紙を広げて、「お上手に書けてますよ、ほんとに」あぁ、良かった、この一言を言われるかどうかはやっぱり大きいな。何も言われず直されるのとは違う。(チェロのレッスンと同じ) 新人さんなので、細かく書き方も教えてくださる。「口」の字の中に何かがある時とないときでは、下の角の部分の書き方が違う。これは常識というか決まりと言うことらしい。実に何も知らない。紙に折り目を付けて目印にする場合は、縦の線は山折りにすること。あぁ、そうか、なんにも考えずに折るから墨が途切れてしまうのだ。
1枚しか書いてこなかったので「これだけ?」 お手本があるから他のもどんどん書いてみてください、とにっこりされる。字を見たらどう書いたかが分かる、だから、「ここのところは押しつけたまま書いては駄目ですよ」となる。
他の方が、書道字典のことを話してくださった。大正時代からの「五体字類」というのが良いらしい。これがないとなんと書いてあるのか分からない字があるらしい。(ネットで調べたら、このほか「角川書道字典」というのが最新式のようだ。) 今必要がなくても、ま、道具から入ると言うことで・・(^^;)
何もかも新しい世界、こういうの楽しいですね。
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