近鉄駅前のお汁粉屋「湖月」(その昔志賀直哉がよく通っていたという)でお汁粉を食べてから橿原神宮駅に。
高校1年の秋、図書室で「奈良の名宝」という文庫版の写真集を手にし、この飛鳥大仏に魅せられたのが、古美術ファンになるきっかけだった。(初めて連れてきた女房は住職の説明を聞いて「涙が出ちゃう」と感激していた)それ以降7,8年毎年2回は奈良京都に旅行して庭や仏像をみて歩いた。
この大仏(釈迦如来座像)は日本最古、止利仏師の作で法隆寺の釈迦三尊像と同じで顔はそっくり、面長の半微笑で左右の手は施無畏与願(せむいよがん、恐れを除き、願いを叶える)の印を結んでいる。後世の釈迦像は丸いお顔になっていく。
学生の頃お世話になっていた博物館横の旅館「日吉館」は場所の雰囲気はそのままだったが建物は別物になっていた。日吉館には一度も予約していったことがない。とりあえず着くと、今日は(いつも?)一杯、どこの学生さん?、と聞かれ、とりあえず荷物おいて勉強に行ってらっしゃい、と言われる。(誰でも飛び込みで泊まれるわけではなく断られている人もいた。)夕方戻ってくると、ここで、と土間の奥のおばちゃん達が寝る部屋を示される。夜おばちゃん達は廊下の隅に布団を敷いて寝ていた。毎回である(^^;) ある時おばちゃんが病気になった。すると全国日吉館のおばちゃんを守る会というのが出来て、交代で宿の手伝いをした。日本中の古都・古美術愛好家で日吉館を知らないものはモグリだと言われたものだ。この土間にいると色々な話を聞けるので、高校生の初心者であった私はその話を聞いてはあっちこっち歩き回ったものだ。その空気を吸ったものは一生それを忘れない。
私が最後に奈良を訪れたのは今から40年前の二月堂のお水取りの時だ。40年もたてば、道路は広がりビルは建ち並ぶが、それでもまだ奈良はその大事な部分が沢山残っているのが嬉しい。いつまでも 守って欲しい。
私は、京都より奈良の方が好きだ。京都は庭や町の風情などは素晴らしいものが残っているが、仏像は奈良の方が力があって良いし、それに京都の寺は、貴族や時の権力者のいかにも権力をひけらかすような態度が見える。同じ大きな寺と言ってもあの大仏殿にしても、権力の象徴と言うより、その時の日本の全ての人の願いを込めて作られたという感じがする。万葉集が身分の分け隔てなく多くの民衆の歌も集められたように、東大寺再建は全国に勧進をして寄付を集めた1人の僧によって成就した。もともと奈良の寺にはそういう力があるのだろう。飛鳥の里を歩き、その小さな丘に登って辺りを見渡せば、その昔、里の家々に煙が上がって、民が今日も夕食の支度をしていることを思って喜んだ天皇のことを思い起こす。
あおによし ならのみやこは さくはなの
におうがごとく いまさかりなり
この古い歌のように、飛鳥、奈良の時代は健康で素朴、国を思い民を思い、率直に、新しい国が生まれ栄えていくことを喜んでいる。修学旅行で平城京を見る子どもたちには、日本も昔、こういう時代があった事をよくよく知って欲しい。
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