中高年の人の話やブログの内容でこれは駄目と言われるのは、自慢話、お説教、昔話・・・というものらしい。我が身を省みてうんと思い当たる。(^^;)
けれど、昔話については害もないのだしつまらなければ読まないことにして、しばしば登場するのはご勘弁願いたい。
まだもう少し若い頃まで、私は、嫌なことはすぐ忘れ、楽しい事しか覚えていないという幸福な人だった。ところがこの数年前から、前のことをふと思い出してしまうことがある。それも恥ずかしい事、情けない事、悔しいことなど、過去に封印したようなことだ。もう取り返しの付かないそういうことが段々増えてきて、だから、その中で楽しかった想い出が浮かぶのは貴重である。思い出すのは何故か大学時代など教えを受けたこと、その時は分からなかったが、若い時に学ぶことは大切だ(お説教?)。
人間の意識とは記憶のことであり、今が幸せであるかどうかは過去の記憶の集積としての現在が幸せかどうかということだ。記憶が失われることは人間としての意識が失われること、幸福が希薄になることだ。だから、せっかく思い出した良い事は、書き留めるなり人に話すなりして簡単に消えていかないようにしておかなければ、と思うのです。この歳にならなければおわかりにならないかも知れませんが・・
大学時代、哲学の樫山欽四郎先生が、講義の中で言われた事を思い出す(すいません、想い出の昔話です)。「人間は、痛い目にあってあとから「そうであったのか」と気づかされる、という形でしか真実に出会わない。そういうことならそうはしなかった、そうと分かっていれば・・と悔やんでも全て後の祭り。そのような人間の愚かさはかなさ、それがギリシャ悲劇に書かれていることだ」その時大学1年生の私は、そういえばそういうこともあるなぁくらいにしか理解しなかったが・・。この言葉には多くの意味が隠されている。
まだもう少し若い頃まで、私は、嫌なことはすぐ忘れ、楽しい事しか覚えていないという幸福な人だった。ところがこの数年前から、前のことをふと思い出してしまうことがある。それも恥ずかしい事、情けない事、悔しいことなど、過去に封印したようなことだ。もう取り返しの付かないそういうことが段々増えてきて、だから、その中で楽しかった想い出が浮かぶのは貴重である。思い出すのは何故か大学時代など教えを受けたこと、その時は分からなかったが、若い時に学ぶことは大切だ(お説教?)。
人間の意識とは記憶のことであり、今が幸せであるかどうかは過去の記憶の集積としての現在が幸せかどうかということだ。記憶が失われることは人間としての意識が失われること、幸福が希薄になることだ。だから、せっかく思い出した良い事は、書き留めるなり人に話すなりして簡単に消えていかないようにしておかなければ、と思うのです。この歳にならなければおわかりにならないかも知れませんが・・
大学時代、哲学の樫山欽四郎先生が、講義の中で言われた事を思い出す(すいません、想い出の昔話です)。「人間は、痛い目にあってあとから「そうであったのか」と気づかされる、という形でしか真実に出会わない。そういうことならそうはしなかった、そうと分かっていれば・・と悔やんでも全て後の祭り。そのような人間の愚かさはかなさ、それがギリシャ悲劇に書かれていることだ」その時大学1年生の私は、そういえばそういうこともあるなぁくらいにしか理解しなかったが・・。この言葉には多くの意味が隠されている。
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