それから、美人高校生のカルテットでヘンデルのパッサカリア。
そして、中学1年生のトリオで、ポッパーのレクイエム。つい数ヶ月前は小学生。楽器は3/4です。それなのに、その音色も表現も大人です。素晴らしいの一言。色んな意味で泣けてくるです。
このあとは、中高生カルテットによるバッハのシャコンヌ。
そして大学1,2年生によるガーシュインのラプソディ・イン・ブルー。全員、金・銀・赤などのアイマスクをかけての演奏。(^_^)
クレンゲルの「讃歌」、受講者全員で「浜辺の歌」で全コンサート終了。
素晴らしい演奏に客席では涙を流す人もいて、それを見た倉田先生も最後のご挨拶で涙を拭きながら、生徒たちの健闘を讃えていました。倉田先生はただ生徒にチェロを教えているだけではなく、その生徒1人1人の性格や、生活状況、様々な問題点を知った上で、そういう子がチェロを弾くことがどんなことか、チェロを弾くことでその子の人生がより豊かになるようにと心にとめて指導をしているように見受けられます。だから根本的にはうまい下手は第一義的な事ではないし、チェロの腕を争ったり、勝ち負けを云々することを嫌われるし、プロもアマチュアも関係なくチェロの指導に熱心です。演奏はその人そのものだし、最も大切なことは人柄と言うのが口癖です。とはいえ、当然ながら芸術家を目指す生徒に対しては大変厳しいようです。
終了後、受講生に聞いたところ、この5日間勉強にもなったし、他の子どもたちの練習ぶりやレッスン・演奏を聴いて大変刺激になったと言う話でした。
私も大変勉強になりましたし、まだがんばれるかも知れない?と思ったり、チェロのすばらしさも再確認できました。
ああ、そこを知りたかったです
聴講するだけでも得るものがあると思っていました。聴くだけでなく、実際に演奏してこそ得るものがある、なのですが、すごく敷居が高いなあと感じていたのです。
どの段階(という表現が適切か分かりませんが)であっても、受講側の意識・姿勢しだいで年齢(中年以降に始めたって人、私も、多いです)に関係なく飛躍を期待出来るのでは?と思うのです。私の固定観念が払拭されるなら&チャンスがあったら、是非受講したいです!
このような機会を作っていらっしゃるgoshuさんに敬服。
投稿情報: チェロ右衛門 | 2010-08-27 23:40
チェロ右衛門さん
えぇと、誤解させるような書き方になって申し訳ありません。先ず、このセミナーはうちは場所を提供しているだけで、主催者は別です。又、受講資格は今回は中学生から大学2年生までと言う制限があるようです。アマチュアは聴講するだけだと思います。狭いペンションで4泊生活を共にする訳なので、おじさんおばさんは無理ですね(^_^
ただ、中高年の大人になって始めたアマチュアだって飛躍できる筈という意見には賛成です。ただ、先生の残されたわずかの時間で社会的使命と言うことからすれば、そんなアマチュアのために割く時間は殆どないというのが実情ですね。ま、そのためにレッスンビデオがありますから、あれに網羅されていると思います。見てるだけなく実際に練習したり悩んだあとで見たりすると役立つと思います。
投稿情報: goshu | 2010-08-27 23:55
マスタークラスの様子、興味津々で拝見しました。思えば大先生が教えて下さる貴重な場、子供たちを日頃指導している先生たちも大先生のおっしゃることを聞き漏らすまいとそばで見守ってらっしゃったんでしょうね?もしかしたら親御さんたちも。そういう場の張りつめた空気を想像しながら読みました。
投稿情報: yoshi | 2010-08-28 08:16
yoshiさん
チェロに限らず色んな学生を身近で見る機会が多く、段々優れた演奏者の持つ雰囲気の差が分かってきますね。大体、世界的なコンクールで優勝したり入賞したりする子はまず礼儀正しく性格が良い、余計なオシャベリはしない(^_^)
ま、アマチュアは関係ないんですけど(アマチュアはオシャベリが多すぎ(^_^))
それに背筋が伸び凛とした風格がある、体一杯音楽表現をしている、スケールが大きい(小さな表現に拘泥しない)
と書いていると私も余計な事ばかり言ってないで静かに練習に励め・・ですね。
投稿情報: goshu | 2010-08-28 09:21
初めて訪れたホールでしたが、楽しいコンサートでした。指導されていらっしゃる先生の生き様や人格が感じられました。機会があったら又伺いたい生徒さんばかりでした。ありがとうございました。
投稿情報: 日本オーボエ倶楽部・悪代官 | 2010-08-28 21:35
悪代官さん こんばんは
ほんと楽しいコンサートでした。レベルも高いし。色々な生徒がいるのですが、倉田先生の指導の根本は、それぞれの持つ音楽性や個性・スタイルを尊重すると言うことにあると思います。こう弾かなければいけないと言うようなことはなく、それは音楽的におかしいとか作曲者の意図から外れているとかそういう場合は別でしょうが、先生のスタイルを生徒に押しつけるようなことはありません。それぞれの人が表現したいものを尊重し、そういう風に弾きたいのならこうしてはどうか、こういう方法もあると手助けするような指導です。それでは物足りないと言うかどうして良いかワカラナイという人もいるでしょうが、ある意味では自由であるが故に非常にキビシク、しかし真の個性を持った芸術家を育てるにはそうでなくてはならないのでしょう。
投稿情報: goshu | 2010-08-28 23:09