「手首を柔らかく」と考える人が多いようなのですが、でも、「手首を柔らかく」使おうとするのは初歩のうちはよいことではないような気がしますね。手首を意識すると重みが乗らなくなりがち。ぐにゃぐにゃ無理に動かそうとしたりするし。しっかりした形を維持して注意は腕全体(肩・肘の力を抜く)に向けた方が良いような・・そして、できるもんなら指を柔らかく(^_^) 物事、目標と結果とは違うんですね。結果を目的にするとうまくいかない。
例えば、幸せになる事を目的として生活すると,もの足りようの思いに振り回されて不満だらけになる。愛されたいと思うと愛されず愛そうとすると結果として愛される、健康であろうとするとより価値の高いことが疎かになる、
・・・等々。近頃の言い方では、金儲けをしようとせず,お客様の満足を願って工夫すれば結果として儲かる(^_^)という風。商家の家訓というのはこういうのが多い。
チェロのテクニックの中で,多くの人がぶつかるのは,ビブラート、ハイポジション、速いパッセージ、移弦、ポジション移動、重音・・等でしょう。どれも難しい事には違いないけど、レッスンの度に基本に戻る事がよくあります。つまり、自分の意識の上での目標・目的と違う所に勘所があるというわけです。自分では見えなくなっている。「あなたは、指でその音を取ろう取ろうとしているけどそうじゃなくて腕を持って行きなさい。そうすれば自然に指は付いてくるから」で、そうすると、音程だけでなく、力は抜け、だから重みがかかり,ビブラートは綺麗になり指の動きも自由になって速いパッセージも楽になる。意識をどこに持っていくかは重要なポイントですね。大体、アマチュアは難しいところをわざわざ難しくして弾いてるって事がありますね。
目的のある一点に凝り固まると,先ずは失敗するもののようです。色んな練習法があって,苦手な部分の克服法も色々。引っかかる場所があれば、そこばかりさらわず,その前からやってみること、その後をやってみることも有効。苦手と考えている部分にばかり固着しないで、その1本1本の指だけでなく、その全体のハーモニー、メロディの流れなどにも目を向けたり、左手だけじゃなくて右の練習とか、ちょっと頭を整理して変な所にこだわりすぎてないかチェックするのも良いかも。
これ、何を学ぶプロセスでも言えそうですね。遠い目的に到達するためにはいくつか途中の"飛び石"を教えてもらわないといけないけど、人によって教える"飛び石"が少し違ったりする、わからないうちはとりあえず近そうな"飛び石"を目標にする....
たとえばテニスで「腰で打て」と教えられても初心者には"少し遠い飛び石"だったりして、滑稽なフォームになるだけで。
でも、そういう試行錯誤を何百回何千回…と繰り返して、いつか「ああそういうことだったんだ」とわかるんだと思います。
だからある時期ひとつの飛び石に固着して、滑稽になっても仕方がないんじゃないかと。
ただ、これはきっとひとつの飛び石に過ぎないんだ、その向こうに目的があるんだ、と思っておくことは必要でしょうね。
投稿情報: yoshi | 2011-02-26 00:36
レッスンでいつも感じていたこと、ここで文章で読ませていただいて、なんだか整理された気持ちです。
ここがうまくいかない、ここがこうなる、という個人練習で感じた躓きとか苦しみポイント、などなどを毎回のレッスンに持参しますが、その時に先生から戻ってくる指導内容が、すごく離れた場所への指導だったりして、自分では気づけないことばかり。
びっくりしたり感激したり。
「ここが」と「点」を訴えると、よくその点の直前、そのまた直前が悪かったり。
その場所の克服のルートを色々習いながら、そのルートそのものをいろんな場面で活かせていけたら、という理想だけは高く(笑)もちながら、日々練習です~
投稿情報: ひみゆ | 2011-03-02 18:05
ひみゆさん
ポイントを自分なりに持ってレッスンを受けるというのは素晴らしいですね。ここをこうしたい,ここができないなど自分で疑問や意図があるのとないのとでは進歩の度合いが違うでしょうね。
考えてみると、弾けないのは,下手だから,練習してないから,才能がないから,疲れているから、歳を取ってから始めたから・・・などなどできないことを正当化する理由は情熱的に語れるけれど、今どこが問題なのか具体的に自覚していることはどんなに些細な事でも重要。何となく練習し何となくレッスン受けても時間がもったいない。
投稿情報: goshu | 2011-03-02 20:47