だいぶ昔、フランス三つ星レストランでシェフとして働いていた人に、リゾートらしいメニューというのを聞いてみたところ、言下に「料理そのものがリゾートであり、バカンスだと思う」と答えられた。テレビの料理番組では、リゾート風の何か飾りをしたり、リゾートっぽいと言うことで、取り上げられるけど、本当の料理人なら、「ッぽい」なんて事は指向しないんだな。
木陰で気持ちよさそうに葉をゆらす椰子、人間も同じ。たまには、体も頭も休め、自然の中で癒やされる時間を持たないと。自然の力は偉大、水が冷たくて美味しくて、勿論安全、空気も澄んで心地よく何の心配もない、そういう当たり前の事がいよいよ貴重になりつつある。
28年前オープンした時の基本コンセプトは、正しかったと思う。自然は良いなんて誰でも言うけど、それが味わえるようにするにはいささか工夫が必要。セロでは、質素な道具だてにしてテレビを置かない、何もない清潔な山小屋を目指した。今時テレビもないのか、とか言われたけど、今なら、今時テレビなんか見てるのか、だ。今頃気がつき始めているのが遅い。近代的装備?に縛り付けられている状態から離れること、「病を治(じ)し縛を解(げ)す」そういう場所があっても良い。
とっくの昔から、さんざん言われてきたのに、耳を傾けない。原発事故から、これまでの暮らしを考え直す事ができれば不幸中の幸い。考え直さないとしたらバカだ。
オープン時のパンフレットに記したセロのモットー。
「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとほった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたしたちは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。」
(宮沢賢治:「注文の多い料理店」序文より)
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