リビアのカダフィ大佐が、拘束され殺されたと言うニュースに、フランスのサルコジが歓迎声明を出した。先に、オバマはビンラディンを殺害したことを大喜びで会見していた。暗い話だ。
それぞれ政治的立場とか政権浮揚とか、色んな思惑があるだろうが、世界から見れば小さな事だ。そんな政治家の人気が上がろうが下がろうが、どうでも良い。けれど、世界の指導的立場にある人が、公の場で、世界中に向かって、誰であれ人の死を喜ぶというのは、道徳的に世界の今後のあり方について悪い影響しかないと思う。
民主主義とか人道とか言っても、命の尊厳を否定しては何も基盤がない。欧米諸国は、過去に、ビンラディンでも、カダフィでもフセインでも、自分たちの都合の良いように利用してきたのだから、もし、それが死に値し、大歓迎すべき事なら、自分たちの罪はどうなるのか。
そんな面倒な事はともかく、誰であっても、人の死は、悲しまなくても良いが、一瞬心に暗い影を落とす。喜ぶような事ではない。もし、個人的に恨みが強くそういう感情に支配されたとしても、公の場では、努めて冷静に、ここでこそ、人間の理性を発揮すべきだ。世界の希望とは、時と場所と様々な都合を越えて、人間の命と尊厳が守られると言うことだから。
日本のチンピラ的マスコミや政府にもいえるけれど、この所ずっと、人間の知性や理性、見識とか常識とか言ったものはどこかに置きざりにされて行く傾向が強まっている。キミタチは学校で何を習い、親から何を学んだのか、そもそも本当に大事な事は何か・・キミタチにはただ一言「恥を知れ」
本当にね。恥を知っている人がだから声を上げないといけないと思いませんか?駄目と思わず、声を上げつつけるしか私たちには武器はないと。
投稿情報: cellokko | 2011-10-21 22:56
大事なのは「感性」と言うことだと思います。これは長い時間をかけて自然に身につくものなので個人が主張してどうかなると言うわけに行かないですね。なにより知識はあっても教養のない人が多すぎる。
中井久夫という優れた精神病理学者がいて深い教養と長年の精神医療の実践から、沢山のエッセーも書かれている。昔、1年近く個人的に沢山のことを教えていただいた事もある。この人の論文の中に非常に印象的な言葉がある。「心のうぶ毛」その言葉を目にしたとき、この人は凄いと頭が下がったものだ。それが、医療の根本である自然治癒を担保する意識の奥底にあるもの。医療行為の中でこれをうっかりそり落としてはならない・・という主旨だった。それを思い出す。
投稿情報: goshu | 2011-10-22 08:24