アップルの生みの親、Steve Jobsが亡くなってもうすぐ2週間、カルフォルニア州では10/15を「Jobsの日」とするなど、まだJobsの功績を讃える声があちこちで続いている。
今日の文明は死を忘れた文明と言われている。しかし Jobsは、人間は必ず死ぬと言うことから話を始める。それを突き詰めて考えたら、本当に自分がしたいことは何か必死に考える。そして、他人の人生を生きる時間はない、他人の言葉、考えではなく、自分の本当にしたいことをやるべきだ、それ以外のことはどうでもよいと言う意味のことを語っている。そして「ハングリーであれ、愚かであれ」と締めくくった。
Jobsとはどういう人かと、遠く離れて特に知識があるわけでもないただの利用者の私が考えるに、IBMという大型コンピューター全盛の時代に、パーソナルコンピューターと言う言葉の意味を誰よりも深く理解し、その夢を実現しようとした人、と言える。最初のインスピレーションをずっと長く追求してきた人だ。コンピューターを合理化や、生産性の向上、利益の増大などの道具としてでなく、人により添う友として、個人の感性を広げ、思考をより豊かにし、自分を自由に表現し世界中が友達になる、よりよい社会を作る、それがパーソナルと言う言葉の意味であり、目標だ。だから、それは持っているだけで楽しく美しく、インスピレーションが沸くような、誇りを持ち人にも自慢できるような心から愛着を持てるようなものでなくてはならない。Jobs はそれにこだわった。Macがまだごく少数派だったころ、Macをもっていると言うだけで、もうその人が分かったような友達気分になったものだ(^_^) 今、チェロを弾くと言うだけで、もう友達気分になるのと似ている。
世の中では個性尊重と言われて久しいが、他人とは違ったことをやろうとするだけのパーフォーマンスでは意味がない。アップルの製品を、設立以来28年間、ずっと私は愛用してきたから、それがどんなに革新的で画期的だったか、他の会社がどれほどぬけぬけとひたすら毎回毎回外見だけ物まねをしてきたかよく知っている。恥を知れとはこのことだ。けれど、Jobsは決して個性を出して売り込もうとか、個性的であろうとしたわけではないだろう。彼が考えたことは、自分が本当に欲しいもの、願っていること、本当に大事だと思うことを実現しようとしただけなのだと思う。勿論経営者としてマーケティングはしただろうがみんなの意見で決めるなんて事はなかったと思う。(どこかの国みたいに怪しげな世論調査の結果ばかりゲームのように騒いでその度に政権が変わるなんてことでは、何も正しいことは行われない。不毛である)私が考えても、突き詰めて考えたら自分をマーケティングすれば良いのだ。偉大な宗教家がそうであったように、個を普遍化する。空気を読んでも自分が読めなければ意味がない。
Jobs を待つまでもなく、いつも考えていなくてはならないのは、本質は何か、本当に大切な事は何か、真実とは何か、を探求することだと思う。何か、迷うことがあれば、真実の方に顔を向け、真実が何を語るかに耳を傾けるべきである。ことさらに個性的であろうとしなくても、次第にその人は個性的になっていく(「個性的」とは、ファッションではなく、かけがえのないその人でしかあり得ない存在になっていくという意味)、そういうものだと思う。深い真実とは、どこか外にあるのではなくその人の中にあるものだからだ。自分の個性が何であるか、個性的かどうか、そんなことはどうでも良いことだ、と私は思う。大切なのは、真実に近く生きること、本当に正しいこと、大事な事、真実に近いことは何かをいつも(時々でも)問うことだと思う。大げさな事でなく、そんな決断の機会は日常の中に山ほどある。Jobsは、30数年間毎日、もし明日死ぬとしたらそれは今日自分がやるべき事かと、自分に問い続けたと言う。全く、凄い人だ。
合掌
いやあ、良いお話を伺いました。
ありがとうございます。
ところで小生もパソコンはずっとマックです。
もっともまだ高々18年ですが、ゴーシュさんは筋金入りですね。
マック仲間と出会う感覚とセロ弾き仲間と出会う感覚、
似ているのかもしれません。
>大切なのは、真実に近く生きること、
>本当に正しいこと、大事な事、
>真実に近いことは何かをいつも(時々でも)
>問うことだと思う。
それって結果として、その人の個性を生かす道なのかもです。
投稿情報: えにお | 2011-10-18 04:38