長年の懸案?だった建物の外壁の痛み部分の塗装、やっと終わった。ただ、ペンキを買って来て塗るなんてことで良ければまだしも、色合わせをしなくてはいけないし、どういう風に下地処理するかも分からない、うまく行きそうもない・・・等と思っているうちに数年がたったのだ。
で、第一段階、高圧洗浄機で汚れを落とす。汚れも落ちるが傷んだ塗装面も落ちる(^^;) 次に塗る準備が出来ていなければやる気にならない作業だ(^_^)
時間も取れ、天気も良さそうな7月30日、作業開始、下地材を少し水で薄めて、刷毛で塗ってみる。簡単だ。2時間もしないうちに乾くと言われていたが、今日の作業はこれまで。翌日、張り切って塗料を塗る。ちょっと飛び跳ねるので、下に新聞紙を敷いて作業。みるみる壁が綺麗になる。ついでに下地材を塗らなかったところも拡張。
「こんなに簡単ならさっさとやるべきだった。」このセリフ、何度も何度も繰り返してきたセリフだ。チェロの練習でもそうだし。
昔読んだ、才能教育の鈴木慎一先生の本に、(善い事を、思ってもやらない人が沢山いるが)「すぐにやる」のは、その人の能力であり、これも訓練して身につけなくてはいけない、とあった。生来素直な私は、それ以降、思い立ったらすぐやる、をモットーにしてはいるが、未知の領域の事に手を出すのは億劫なものだ。誰かの一言、一押しがないとなかなかやらないのは、みんなそうだろうか。押しても押してもやらない人もいるし。才能とか性格とかのせいにしないで、1つ1つのことは能力であり、能力である以上本人の開発の意欲さえあれば、自分で育てていける、はず。こういう考えを楽天的と揶揄する人もいるだろうが、能力を身につけるかどうかはその人次第だ。客観的なことなど分からない、大体分かる前に死んでしまうだろう。生きている間の事はやったことしか分からない。やらずに分かったつもりになっても何の意味もない。
補修の方法が分かったので、これからは、外壁の汚れなどがんがん高圧洗浄機できれいに出来る。実際にやってみて得られた経験は大きい。なにごともそう。チェロの練習も同じ。理屈で分かってもやってみないことは何も分かっていないのと同じ。
本当に「知る」とは、「学んだことの証し」とは 自分が「変わる」事だ、と、ある作家が言っていた。
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