ホスピスでの感動的な演奏会から2日たった。演奏の後でみんなで話し合った中に、それぞれの人のそれぞれの想い出を思い起こさせるお手伝いをするような演奏をしたい、と言った人がいた。音楽とはどういうもので、演奏とはどういうことか・・色々考える、考えるというか思いが去来する。
少なくとも私にとって、良い音楽とは、どこかに遠い憧れ・郷愁があるもの。ピアニストのアシェナーエフが、「ノスタルジーは最も高貴な感情である」と言っているが、この世には、「現実」として多くの人が日常生活で見なしている物とは別の「第2の現実」があり、それが故郷である人も沢山いる。遙か昔の人類の記憶にまでさかのぼる、さらにそれを超えた物かもしれない、そういう物が現実を支えている。目の前に見えること、知りうることは事実のほんの一部に過ぎないのだろう。現実の様々な事柄は、沢山の過去を背負っている、人間の意識自体、記憶の総体である。人と心が1つになると感じる時、今のこの瞬間にもこの足下に沢山の記憶、歴史と文化の深く広い世界が広がっている。それは空想ではなく事実だと思うのだが、普段の生活では忘れているだけ。
遙かなものへの憧れとは、遠い未来の目標ではなく、最も美しく最も大切なその人だけの過去の生活史を超えて、沢山の人、文化へとつながる過去への望郷の想いだ。ノスタルジーとは、現実と見える世界から、より本質的な魂の故郷を想起させる時の感情である。地べたをのたうち回っている現実生活の中にいれば、思い出だの回想だのはマイナスな非生産的な感傷のように見えるが、そうではない。音楽は人を元気づけたり明日への活力になったり、生産的になったりすることに価値があるのではない。もうその先に未来が見えないとしても、その時そこで人が本来の人間になる事に価値がある。それが人を元気づけたり力を与えたりはするかもしれないけれど。・・ま、これは私の勝手な妄想であり一般的な事ではないし、人それぞれ。
話し合いの中でまだ若い女性が言っていたけど、音楽アンサンブルって、様々な世代、職業、違う世界の人が、普段の生活ではなかなか無いことだけれど、集まって1つになれると言うのがすばらしい。病気の人も看護する人も人生最後の日々に(ホスピスではそれが非常に短いけれど、でも考えれば、誰でも死ぬのだから、人はいつでも最後の日々を過ごしているのかも)心を1つに共にする体験として音楽がある。
そんなことを思い起こすホスピスでのコンサート。次は、3月か・・
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