冬季オリンピックが終わった。オリンピックにはあまり関心が無いけれどメダル候補でありながらそれを果たせなかった選手の喜びの声というのには、少し感動する。それは負け惜しみでも何でも無く、純粋な、その立場でなければ悟り得ない心境だろう。そこには、私を含めチェロを練習している多くのアマチュアにとっても気づく大切なことがある。
楽器、特に弦楽器のように難しい楽器を習得するのは大変で、それも大人になってから始めた人は、ほとんど絶望的な気持ちにさいなまれることが多いだろう。プロと比較するのはとんでもないが、アマチュア同士でも上手な人とか沢山いるし、子供の演奏だって音色だってとてもかなわない・・チェロなんかやめた方が良いと私でも何度思ったか分からないし実質的に練習を放棄していた時期もある。これ以上上手にならない、なったところでたいしたことにはなりそうもない・・・
けれど、別に優勝候補でも何でも無い、「参加することに意義がある」的選手の嬉しそうな顔を見ることがある、大きな舞台で、自己ベストが出せたと言うような場合だ。昔そういう選手の話を聞いてはっとしたことがある。メダルをとるとか、コンクールで何位になるかとか、そんなことを気にかけているのはごく一部の人で、たとえば、絵描きなら、クラシック音楽のコンクール(それで将来にわたってその人の評価がついて回る)だとか経歴(何処の学校出て、誰に習ったか、どんな有名な人と共演したか・・とかなんとか)なんて何の意味も感じないだろう。その業界にいなければほとんど意味があるようには思えない権威主義と映るだろう。
大切なことは、他人との比較ではない、自分にとってどうなのかが問題だ。自分が前より、良い音を出せているのか、前よりましになっているのか、努力しているのか、正しい路を歩んでいるのか、自分らしくできたのか・・と言うことが大切なこと。誰とも競争しているわけではないのだし、評価されるためにやっているわけでも、その結果が何かに影響するわけでもない、ただただ自分のためだけにやっていることだ。
山登りと一緒、上を見上げると、頂上はいくら登っても近づいているとは思えない、けれど、下を振り返るとずいぶん登ってきたものだと驚くことがある。あれと一緒。それが励みになる。そして、たった一人で、ただ下を見て一歩一歩進む。誰もおぶってくれないし、突然エスカレータが現れたり、タクシーが通りかかったりしない(イヤ、実際最初に富士山に登った時はそれを空想した)。つらい山道は、良く考えれば、進むことが登ることになる。同じところをぐるぐる回っているわけではなく、歩くことは登っていること。休まなければ必ず上に登っている。土台、人生にはゴールも頂上もない、常に途上にあるだけ、だから、遅いとか早いとか言うこともあまり意味が無い。自分のペースで、ゆっくりなら沢山の景色を見て味わえる。やめてしまったらその豊かさを失うことになる。
発表会で出来がよくなかったため、
いったんはチェロを止めようかと思っていた私。
今朝のゴーシュさんの記事をみて
いいかっこしいの自分に活を入れられた気分でした。
ありがとうございます。
誰と比較されるもんでもない・・・自分のためですね。
投稿情報: 田丸一男 | 2014-02-26 08:51
ありゃ、かの有名な田丸さん、おはようございます。読んでいただいて光栄です。一言付け加えると、休まず歩くだけで上に行くためには、毎日の練習法が大切ですね。それを教えてくれるのがレッスンだと思うのですが、必ずしもそういう先生ばかりではありません。私はアルプスに登ったことはないし、その喜びを伝えることもできませんが、その辺の低山ハイクならその楽しみを伝授できるかもしれません。へたっぴならではの勘所もあるのだと思って図々しくチェロのことを書いたりしています。
投稿情報: goshu | 2014-02-26 10:13
ゴーシュさん
これからもいろんな思いをブログで伝えてください。全国のチェロ弾きが参考にしております。
豪雪、お見舞い申し上げます。春が待ち遠しいですね。
投稿情報: 田丸一男 | 2014-02-27 11:40
私もいつも続ける勇気をゴーシュさんをはじめ諸先輩のブログからいただいてます。
ありがとうございます(#^.^#)
投稿情報: natasha | 2014-02-28 13:22