道路から玄関に向かう小道を照らす外灯。廃材となっていた9cm角の角材にドリルで穴を開け、電線を通して、レトロ調のランプをつけた。電源は建物の外部用コンセントからとりパイプを埋め込んで地下埋設した。これに手間取った。あと、傘木を取り付ければ完成。
小学校時代、昔の家も、町の外灯も皆、裸電球に傘がついたシンプルなものだった。
ネットで、タイマーを探したら、暗くなると点灯し、設定した時間で消えるという「光センサー付きタイマーコンセント」というのを売っていたので、それを使ってみた。
夜道を歩く人には少しでも灯りがあるとほっとするものだし、この緑を照らすレトロ調の灯りも、ほんのり少しだけ心和ませるものがあるだろう、と思う。
庭園灯は沢山の種類があって選ぶのに困るほどだが、いまいち意味が感じられないものばかり。和風であるとか、洋風であるとか、しゃれているとか、自然にマッチするとか色々あるけど、なかなか気に入らない。というか目的が違うから仕方ないが、その存在の仕方が微妙だ。人が歩く道を照らす外灯は、暖かさが必要だ。近頃自販機が外灯の代わりになっているとか・・まぁ、防犯上暗いよりはましだが・・(自販機は町の景観を著しく汚しているし、驚くなかれ富士山頂にも沢山ある、あんなもののために原発が必要になるかと思うと賛成できない)ただ、明るいと言うより、そこに意味が込められていることも大事だと思う。外灯を青い色にしたところ犯罪が減ったという町があった。見張っているぞ、警戒しているぞと言う警戒色になっているらしい。防犯上警戒色である青い光が緊急避難的には有効かもしれないが、それは動物としての反応で、通行人にも緊張を強いることにもなる。そういう町作りはどんなものだろう。それなら、暖かい光で上から包むように照らす灯りは、見守っているぞ、何かあったら助けを求めなさいと言うメッセージになると思う。
どんなものにもメッセージが込められているしそうでなくては無機的な社会になってしまう。それと、メッセージを読み解く感性も育てることも必要だ。それは「うぶ毛」のように幼い頃から備わっているもので、成長するにつれてだんだん感性にふたをするようになったのではないだろうか。
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