先月チェロイベントの際、集団レッスンで話題になった正しい姿勢のための肩甲骨の意識について、有益な記事を紹介したい。
以前、NHK「ためしてガッテン!」で五十肩の治療と予防について取り上げたとき、勧められていたのは「肘丸体操」だが、それと形はちょっと違うが原理は同じ。現代人は呼吸が浅く、それで肩こりの人も多い、と言う指摘はなるほどと思う。チェロを弾くときは、深い呼吸が必要だしそういう音が必要。
肩が凝る、とか 肩から動かす、とか言うが、実際は肩が凝っているのではない。だから腕をぐるぐる回しても役に立たない。
こういう風に、意識とは違っている事、というのは沢山あって、誤解や無駄の元になっている。チェロの練習でも沢山、そういうことがあると思う。曰く、力を抜く、と言う魔法のような言葉、そうか、力を抜けばよいのかとうまくできるようになるなら事は簡単だが、実際には、ほとんどこの言葉には意味がないとしか思えない。人間の体には、意識して動かせる、コントロールできる所とそうではないところがある。普段使っていない筋肉で、チェロ演奏の時だけそれが必要になる筋力というのもあると思う。やせて小さな女性が太くて豊かな音を出すのを聞くと、そうか、力じゃないんだなどと思うが、本当は違うと思う。私は鍛えていない、活性化されていない小さな筋肉がこの小さな女性は、きちんと使えるようになっている、そういう訓練を積んだのだと思う。俵を持ち上げることはできなくてもたかが80g の弓をきちんとコントロールできる筋力、柔軟性があるのだろう。
セヴシックのボーイングエチュードをやっていると、最初右手がとても疲れる、そういえば、それは余計な力が入っているからだ、と言われるだろうが、そんなこと言われてもなんのアドバイスにもならない。きっと本当は、目には見えないがほんのわずかのいつもは使わない筋力が必要だからだと思う。弓の返しを強いバネがついているかのように瞬時に行う、こんな事は日常的に使わない動作だが、これを鍛えるのがボーイングの基本に必要だ。2,3週間続けていれば次第に疲れを感じなくなる。それはどういうことか。筋力がついてきたからか、無駄な動きが減ってきたためか、手の形が運動に即して動かしやすいようにバランスがとれてきたためか、いろんな要因があるだろう。よく「自然に」とか言うが、ボーイングは日常的でない不自然な動きだ。自然に、力を抜いて、重みをかけて・・・こういう文学的な言葉でなく、科学的な言い方はないのだろうか。
問題は、意識していない動きや筋力を間接的に鍛える練習だ。鍛える、というのは、力だけでなく柔軟性を持つと言うことも含む。例えば、それは、必要な筋力を発揮するのを阻害しているような動きや姿勢、形があればそれをやめると言うことも含む。大人になって始めた人とか、悪い癖がついている人が、正しい姿勢や動きを覚えていくとき、ただひたすら練習するのではなく、合理的科学的根拠に基づいてやれたらよいし、正しい合理的な指導法もある程度可能だと思う。
春に京都旅行したとき、ちょっとみてもらった皮膚科医院で購入した、のびーるソフト 私は、ノーマルの緑色を買ったが結構きついので、ピンクの方がお勧め。これで時々遊んでいれば肩甲骨周辺を鍛えることに役立つだろう。少なくとも、その動きがどんなものかは理解できるようになる。
チェロの教授法は色々あるし、いろいろなレッスン、指導があるけれど、まだまだ科学的な解明は進んでいないと思う。スポーツの世界では、スポーツ医学とか、科学的な研究が進んで、一時代前のウサギ跳びのしごきとかそういうものは今ではやらない。チェロの練習でもそういうものがあるのではないだろうか。未だに根性だの気合いだの言っている時代ではない。スポーツの場合、オリンピックとか国家の威信をかけたようなイベントがあるので、莫大な税金を使って研究したり、練習施設を作ったり、記録の沙汰も金次第の様相を呈している。でも、チェロなんか、国威発揚にも景気回復にも役立たないから、まじめに研究したりしないだけだろう。ま、そりゃそれでよいが(^_^)
数年ぶりにクレンゲルのコンチェルティーノの楽譜を出して、弾き直してみて、色々思い出したことがある。この曲は初級クラスの卒業曲として素晴らしいと思う。初めて練習したときと違って、今は、この曲で、それぞれで求められる音色を引き出すためのボーイングの体の使い方、意識、そういうものを点検しようと思う。 ともかく、私はこの曲によって、アップボーの弾き方の1つを体得したと思っている。1つの技術を習得するというのは、音楽的にここはこう弾きたい、こういう音を出したいと焦点がハッキリしている時に到達しやすいと思う。単にテクニックを覚えると言うだけではなかなか身につかない。そもそも技術とは表現したい音楽が先にあってそれを何とか実現するために修得するものだ。人それぞれでそれは違うだろう。この2楽章が、最もチェロらしい音作りに向いていると、私は思うが、他の人にはぴんとこないかもしれない。だから、どの曲がどうのではなく、表現したい音楽、音色、それを明確に追究しようと言うことが必要なだけ。ここのテーマはどうしたら音がやせないで伸びやかに朗々と歌えるか、と言うこと。問題は怪しげな手首。解決は肩甲骨の動きと肘の位置。
「学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや」
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