高校1年で出会って50年になる記念のクラス会が都内のホテルで開かれ夫婦で参加。今回参加した7人のご婦人方が壇上でそれぞれ挨拶。大学付属校だから、7年間は同じ空気を吸っていたことになる。もっとも半分近くは誰だか見当もつかない。自己紹介されてもまだ分からないのが数人いる。でも外観は変わってもしゃべり方などは変わらないものだ。はるばる松江や神戸から駆けつけた人もいて盛り上がった。
大学周辺はすっかり様子が変わって、「おふくろ」とか「カナリア」とかいう昔の学生向きの定食屋など消えてしまった。これは寂しい限りだ。
大学関連の新しいビルがいくつも建っていて、このホテルもその1つだが、こんなモノばかり次々と建てて、何を考えているのか・・と言う気がしないでもない。
私の高校時代は、簡単で、クラシックギターと読書に明け暮れた。それも半端ではなく食べる寝る以外のほとんどの時間はギターに費やした。ギターは毎日学校に持って行き、休み時間は授業が終われば数秒のうちにギターをケースからだし、先生が教室に入ってくるまで練習、修学旅行中もギター持参で暇さえあれば弾いていた。勉強した記憶がない。試験前には教員室に呼び出され、キミ今度の試験ダイジョウブデスカなんて励まされた。時には、自宅にまで電話がかかってくるほど心配していただいた「ようだ」(毎日深夜まで新宿歌舞伎町でうろうろしていたので、幸いにして電話で先生の声を聞くことはなかった)だから、きっとクラスでビリの成績だったに違いないが、卒業出来ずに落第したのが2人いたから、私はビリではなかったらしい。思うに人間駄目でも良いと思えばその通りになるしそう思わなければ超難度の超低空飛行をやってのけることが出来る。私なんか途中次々と赤点をとっていたが、卒業時には無傷?だった。
と言うわけで、高校時代の記憶は希薄である。みんなと何かやったという記憶もないし、ただ1人ギターばかり弾いていた。今考えると、なんたることか・・。ギターはその後何の役にも立たなかったように思うが(実に膨大な時間を掛けて無駄なことをしていたわけだ)、まぁ、1つだけいえることは、好きなことを持ちそれに熱中したことのない人はつまらない、と言うこと。だからどうって事ないけど・・(^^;) 損得、有用無用・・そういう世界と別の世界がある。沢山の無駄なことをやったおかげで現在の私があるのは確実だ。たいしたことはないけれど、ろくでもないほどではない。沢山の役に立たないことと言うのも、実は、ある状況下でのある脳の限界での話で、条件が変われば、物事は別の意味を持つ。
考えてみると、長い人生で10代というのは、揺籃期、沢山の事がはぐくまれる時期だったのだろう。同じ教室で同じ空気を吸っていたのに、それからそれぞれが新しい芽を伸ばしていった。めでたいことだ。
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