蛍堂店主と話していて、改めて思ったのですが「和風」って何だ。なんか、おかしいような・・
昔、イギリス人女性から言われたのですが、その頃日本ではやり始めた「イングリッシュガーデン」という言葉がおかしい、そんなものはイギリスにない。それは、日本に置き換えれば、和「風」の庭園なんてものは日本にはない、と言うことですね。○○風っていうのは、まがい物、偽物っていう意味でもあります。「和風総本家」とかいうTV 番組があるけど、言葉に矛盾がありませんか?
外国人が和風ということを言うのは分からないことはないけど、外国人が和風だと言って作る内装とか何かの写真って、見るとばらばらで半分は中国風だったりします。日本人はそんなもの作らない。
イギリス人の女性が言うには、確かにイギリス人は庭が好きだし一生の夢だったりするが、それぞれ皆違う。その人その人でテーマがあり、農園になっていたり小鳥が集まる場所を仕立てたり、決して1つの英国風のテーマがあるわけではない。
それでも、そこにある種の統一感があるとすれば、それが伝統の力というものでしょう。それは一人一人の中に脈々と連なる過去の記憶と言うべきもの。それが途切れてしまえば、外国人のように「和風」のものをとってつけたようにしつらえなければならなくなる。
でも、一方、日本では昔から海外のものを積極的に受け入れてきた文化もある。庭にしたって、南洋のシュロを庭の一角に植えて楽しんだ時代もあった。日本文化の粋を極めたとされる桂離宮の入り口付近にも見事なシュロが何本か植えられている。作者が「和風」にこだわったらこんなものは植えなかっただろう。そのほか革新的といえる意匠がふんだんにある。だから、日本古来のものにばかり「こだわる」と言うのも逆に日本的ではないともいえる。温故知新、いつも新しいものにも好奇心を持って取り入れてきたのが日本の伝統。日本文化の総本山ともいえる京都は、日本一パンの好きな町で至る所に個性溢れるパン屋がある。湯豆腐なんて食べないらしい(^_^) 常に革新性がなければその文化は文化の「干物」になる。
日本にフランス料理が初めて渡来したのは種子島に上陸した外国人がそこで作った料理と言うことになる。食材はフランスのものではないが、シェフはその土地でとれたものをアレンジして、自分たちの舌の好みに合うように工夫したことだろう。それはやっぱり日本で作ったフランス料理というのだろう。慣れ親しんだ素材も大事だが、もっと大事なのは、味覚と食に対する感覚なのだろう。料理の味を決めているのは舌で感じる感覚の他、視覚からも、鼻からも、そしてその人の記憶からも影響を受ける。総合的な体験だから、日本には日本人にしか味わえないものがある。
だから、「和風」というのはずいぶんと頑なで創造性に欠けるものかも知れない。ラーメンだってカレーだって元の国よりおいしく世界的に人気があり、「和食」として広がっているのではないだろうか。昔、中華料理と言えばラーメン、洋食と言えばカレーライスやとんかつ、だったけど、やっぱりあれは日本料理だったのか。(^_^)
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