2泊3日のチェロ合宿が終わりました。朝6時半から夜2時半まで熱心に個人練習やアンサンブルなどチェロ三昧でした。私もかなり参加させてもらいました。久しぶりで楽しかったです。私はこの会のお邪魔虫でしたが、一応ホールの音響特性を知ってもらうためと称して、若干時間をさいて、音の響きをよく聴いて、利用して演奏するように簡単なレクチャーをさせてもらいました。役に立ったかどうかは知りません(^^;)
かれこれ6,7年のおつきあいの方からつい最近知り合った方まで、初級者から中級者まで様々ですが、それぞれ進歩している様子もわかってそれも楽しみの1つです。
それぞれに課題があるものですが、アマチュアの楽しみとは何か、それも人それぞれでしょうが、色々思い当たることがありました。
プロとアマの違いとかは昔からいろんな場所で言われていることですが(たとえば、音楽表現にプロもアマもないとか)、元はといえば同じだけれど、実際は全然別でしょう。たとえば、アスリート、バレリーナ、など考えて見ると分かりますが、というかお相撲さんが典型でしょうが、アマチュアにとってはスポーツは健康のためだし、仲間作りでもあるけれど、プロにとっては、健康のためにやっているわけではなく、体がカタワ?になっていたり傷だらけ障害だらけで、非健康的だし、楽しんでいる風はありません。目標も違うし、背負っているものも、全く別。演奏家だって似たようなものでしょう。
こんな風にチェロ好きが集まって純粋に音楽を楽しみ、仲間とのふれあいを楽しめるなんてなんと幸せなことでしょう。そして、私を含めいくらかの人にとっては、ただの、趣味、単なる気晴らしや時間つぶし、社交の場ではなく、プロとは違った意味で、人生にとって大切なものになっていることでしょう。良い演奏を妨げている原因は、アマチュアには無数にあって、解決できないことも多いですが、細かいことを除いても、根本的に音楽的でない部分の多くは肉体的鍛錬や技術だけではなく、考え方、志、・・など精神的なものに起因することも多いと思います。それに気がついて変えて行くことができれば、チェロを通じてもっと大きな楽しみを増すことになるでしょう。多分レッスンではそういうことは一切言及されないで演奏技術とか音楽解釈に終始すると思いますが、それは相手がプロの先生だからで、私は全く別の角度から見ているなと思いました。プロの先生方には、見えていないものもあるのではないか(それはそれで必要十分ですが)、でもチェロが上手になると言うことだけではなく、本当のアマチュアの楽しみを考えたら、別のアプローチがあっても良いなと感じます。プロの先生から見れば、どうせアマチュアだからそんなに厳しいレッスンをする必要もないし、せいぜい趣味で楽しめば良いじゃないか、それで楽しい人生が送れる・・と考えがちになるでしょうが、それはその通りだしそう言う役割で十分でしょうが、実はそれでは人としての関わりとしては不十分。・・・
余計なことでしょうが、この世の中、色々なことで分断、差別化が起きています。たとえば、職業ということだって、大昔の人間の暮らしでは専門家なるものは殆どなかったでしょうが、時代を経るごとに、専門家が現れ細分化していく。医者や弁護士などいわゆる資格を規定している仕事、そしてその資格社会でそれが常識になっている人たち、小さい頃から音楽を教えられ特殊な学校特殊な環境の中でそのまま成長した人たち、多様な社会経験を持たずに大人になりそのまま暮らしている人たち・・そう言う生活の中で、すっかり見失っているものがある。たとえば、入院患者が看護婦さんに何かを相談する、すると(その看護婦さんだから話しかけたのに)では先生に聞いてもらいましょうとか振ってしまう。人として関わることはやっかいだしなるべく避けたい、だから分業して無責任に平穏に日常を暮らしたい。資格社会の役割としてはそうかも知れないが、患者も看護婦も病人や看護士である前にただの人間だし、人が特定の人に相談していることならそれは他の人に振らずにそこで受け止めるべきこともある。色々な役割や専門知識、専門的技術は当然あるけれども(それに様々なメンツや権益が絡み合いそれを守るための約束事もできあがる)、それに慣れきって、もっと深いところに目が届かないということもあるでしょう。チェロをやっている、ということの中に人それぞれの思いや志しがある、本人が気がつかないまま無意識で求めるものもあるはず。だから、先生だって、自分の心の奥にあるものを知る努力も必要だし、音楽だけでなくそう言う想像力や感性も、人に関わる職業であればなおさら、磨いて行ったら素晴らしい・・・。だから、演奏家も職業としての音楽以外に趣味を持つべきでしょう(^_^) ・・以上、余計なお世話でした(^^;)
これまで経験したことでは、その人の変化は音に表れると思います(音色はその人の人間性、思想が表れていると言った演奏家もいました)。指が速く正確に回るようになっても上手になったねというだけのことで大しておもしろいことでもないけれど、音色が豊かになったり柔らかさやしなやかさを持つようになったりすると、それは大きな変化と言って良いし嬉しくなる。時間を掛けて変化することだから本人ははっきり自覚していないことも多いけれど。でも、きっと音楽の楽しみはより深くなっていることでしょう。だから、私にとっては音色が変わること、音の響きを聴くことは一番大切なことです。又、余計なことですが、私が近頃考えるのは、やがて肉体も衰え、チェロも満足に弾けなくなることもある、必ずその時はくる、チェロなんか弾けなくなってベッドで横になっているばかり、という時もくるかも知れない、その時それまでのことがすべて無に帰するのではなく、チェロを弾いてきて良かったという変化が自分の中に起きているようにしたい、チェロの果実がすべて心の中に実っているように・・・
in silvis viva silui, canora iam mortua cano
森で生きている間私は黙っていた、命を失った今澄んだ声で歌う (堀口訳)
(クレモナのモットーとされている古い楽器の裏にラテン語で書かれていた言葉)
何しろ、3日間、料理をしたり掃除をしたりしながら、チェロを弾きまくっていたので、大変でしたが、特に疲れはありません。いやなことだと疲れますが楽しいことばかりですから(^_^)
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