二条の橋のたもとリッツカールトンホテル(泊まってないけど、言ってみたかった(^^;))を出発、まずは哲学の道に行きます。
それから、南禅寺方面に向かい、水道橋の上、昔琵琶湖の水を引いて発電施設のあったところ。
もの凄い人出です。
その後疎水に沿って平安神宮方面へ
途中で女神輿の行列にも出会いました。
昼食は、「味ろっこん」木屋町店を目指します。四条烏丸にも別の経営者の同じ名前の店があり、そちらはおなじみですが昼はやっていないので、木屋町店に。予約でいっぱいなのですが、運良く入れました。私たちの後のお客さんは全部断られていました。ランチは1350円(税込み)。京のおばんざいのほか3種のメニューから選べます。私は、穴子の天ぷらを頼みました。それにホタルイカと筍の土鍋ご飯です。おいしい!
明日も何とか日中は雨は降らないようなので、京の桜を満喫したいと思います。
この時期、あちこちで、この季節ならではの行事が行われています。京都ではやっぱり桜を大切にしてきたのですね。京都府庁の旧日本館の桜も見事なようだし、堀川でも桜祭りが行われているし、見て回るのも忙しい。まぁ、桜は特別な巨木以外どこでも同じで、周囲の環境次第。水辺の桜がやはり美しい。その美しさは千鳥ヶ淵が一番ではないでしょうか。水と城の石垣と緑・・・。
どうして日本人は桜が好きかの話ではよくすぐ散ってしまう、散り際が良いとか何とか言う人がいますが、こじつけも良いところだと思います。武士道がどうたら大和魂がどうのは軍国日本の屁理屈(そして間違い)で、単に季節の良い時期に美しいからでしょう。すぐに散ってしまうはかなさもより一層美しさを感じやすくするでしょうが、潔いわけではない。誰もが美しいと感じるものに何かの価値観をこじつけるのはよろしくない。政治家が好む卑怯なやり方。・・・ではないかな。
江戸時代の国学者、本居宣長は桜を愛し、「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花。」と詠った。ここから、「散り際が良い」?桜を侍の大和魂?としてたとえ洗脳する(思い切り戦ってさっさと死ね)のは曲解も甚だしいと思う。素直に、桜は美しい、柔らかい朝日に映える、日本古来の桜、山桜の清楚で柔らかい花は日本の心そのものだ、と読めばそれで良いはず。清々しい柔らかさこそ日本の心だ、それが好きでたまらないと言っているようだ。
ちなみに、我が家にも吟味して選んだしだれ桜を1本植えてある。庭の中で朝日が半逆光で当たる位置に植えた。上の歌を参考にそれが一番桜が美しいと思うためだ。余計な事だが、「匂う」というのは、「♪卯の花の匂う垣根に・・」と言う歌でも使われているが、臭覚とは関係なく、むせるように沸き立つように咲く様を言う言葉だ。それは半逆光の光だと思うわけ。
桜は世界の誰もが美しいと感じる、京都に来ている沢山の外国人もみなこの桜が目当てだ。ただ、長く親しんで大切にしてきた日本には、独特の文化が生まれている。それは絵画であり、歌であり、料理であり、祭りであり、花見の習慣だ。外国に桜の文化があるのかどうか知らないが、おそらく日本独自に発達したものではないだろうか。先年、韓国旅行をしたら釜山の街も周りの山も呆れるほど桜だらけだし、慶州も桜だらけだったが、その花の下で食事を楽しんだり宴会をしている姿はどこにもなかった。花見も日本の文化だ。
ところで、京都市の歩行者優先の施策がどんどん進行していて、自動車は勿論、自転車も四条通だけでなく鴨川添いの道は乗り入れ禁止になったり、ちょっと残念。でも、マナーの悪い人が増えてもいるのでしょう。規制を加えたり禁止したり、そんなことばかりでは情けない。これに限らず、(テロでも少子化対策でも)わかりやすく単純なことにのみ解決策を求めるのは心の劣化をどんどん進行させる。自動車にしろ自転車にしろ、新しいものが普及すればそれが文化を生み出すようにならなければならない。車や自転車の受け入れ方はフランスと日本では随分違うのではないだろうか。「ル・マン」に参加していたある人がそういうことを言っていた。単なる賞金稼ぎのレースではなくそれは文化なのだ、と。
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